大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

ホケノ山古墳〜卑弥呼の鏡が眠る丘、古代浪漫の源流へ

ホケノ山古墳〜卑弥呼の鏡が眠る丘、古代浪漫の源流へ

奈良県桜井市箸中の田園地帯、三輪山の西麓にこんもりとした緑の丘がある。
それが「ホケノ山古墳(ほけのやまこふん)」である。

青空の下、蔦に包まれた墳丘は自然と一体になったように見える。周囲には畑が広がり、風が稲を渡る音だけが響く。

ホケノ山古墳〜卑弥呼の鏡が眠る丘、古代浪漫の源流へ

入り口には案内板と小さな東屋があり、ゆっくりと腰を下ろして古代の空気を感じることができる。駐車場も整備され、箸墓古墳のすぐ東側に位置している。

ホケノ山古墳は、3世紀中頃に築かれたと考えられる前方後円墳で、形は「帆立貝形(ほたてがいがた)」と呼ばれる。全長は約80メートル、後円部の直径は約55メートル、高さ約8.5メートル、前方部の長さは約25メートルである。前方部は南東に伸び、後円部のまわりには幅10〜17メートルの周濠(しゅうごう)がめぐっていた。墳丘には葺石(ふきいし)が施されているが、埴輪(はにわ)は見つかっていない。

発掘調査では、後円部の中央から「石囲い木槨(いしいかこいもっかく)」という特別な埋葬施設が見つかった。これは、地面を大きく掘り下げ、その中に長さ7メートル、幅2.7メートルの木の棺を納め、その周囲を石で囲ったものだ。棺はコウヤマキの木をくり抜いて作られ、表面には朱が塗られていたと考えられている。この構造は、弥生時代の墳丘墓と古墳時代の墓の両方の特徴をもつ、まさに“古墳時代のはじまり”を象徴するものである。

出土した副葬品も非常に豊かだ。画文帯同向式神獣鏡(がもんたいどうこうしきしんじゅうきょう)1面をはじめ、破片となった銅鏡や内行花文鏡、素環頭大刀(そかんとうたち)や鉄製刀剣、鉄製の農具、銅鏃・鉄鏃など130点以上が見つかっている。祭祀に使われたとみられる二重口縁壺(庄内式)20点以上が、棺を囲むように等間隔で並べられていた。これらは後の古墳時代に盛んになる「墳丘祭祀」の原型とされている。

出土した神獣鏡は直径約19センチで、中国でも類例の少ない精巧なもの。表面には四体の神仙と龍が刻まれ、神話世界を表している。卑弥呼が魏から贈られたとされる「銅鏡」との共通点も多く、邪馬台国時代との関係が注目されている。

ホケノ山古墳〜卑弥呼の鏡が眠る丘、古代浪漫の源流へ

被葬者は明らかではないが、地元では古くから「豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)」の墓と伝えられている。『日本書紀』によれば、豊鍬入姫命は天照大神を祀った皇女であり、のちに伊勢神宮の祭祀をつかさどることになる。大神神社もこの伝承を伝えており、ホケノ山古墳は女王・卑弥呼やその後継者に近い人物の墓であった可能性が指摘されている。

この古墳は、鉄器や鏡、土器などの豊富な副葬品によって、弥生から古墳への時代の移り変わりを示す貴重な資料である。出土品は2024年(令和6年)に国の重要文化財に指定された。

ホケノ山古墳〜卑弥呼の鏡が眠る丘、古代浪漫の源流へ

現在のホケノ山古墳は、駐車場もあり、自由に見学できる静かな史跡として整備されている。田園の中にたたずむその姿は、2000年前の風景をそのまま閉じ込めたかのようだ。

 

 

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