大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

三輪山・登拝日記〜変わりゆく季節と、日常の隣にある聖域をたずねて

三輪山・登拝日記〜変わりゆく季節と、日常の隣にある聖域をたずねて

子どもの頃、あれほど待ち遠しかった夏が、いつから億劫な季節に変わってしまったのか。2015年に雪山にのめり込むようになってから、夏はただの「避ける季節」になった。

f:id:balladlee:20250901154025j:image

虫が多く、蒸し暑く、ただ冬の訪れを待つだけの日々。好きだった季節が夏から冬へと移ったとき、日本の夏はすでに取り返しのつかないものになっていた。

f:id:balladlee:20250901154302j:image

物事は変わる。物事は壊れる。それを止めることはできない。受け入れるしかない。
それでも、かつての夏がもう一度戻ってくることを、心のどこかでまだ願っている。そんな途方もない願いを抱くとき、小さな存在を無意識に見つめてしまう。大きな世界を動かすのは、国家や政治ではなく、目立たない小さな存在かもしれないと、ふと思うのだ。

12年暮らした新宿を離れ、2025年7月25日、桜井に帰郷した。これから毎月、三輪山に登ることに決めた。自分の体調を測る、ひとつのバロメーターとして。

2025年9月1日:秋は遠く、三輪山は近く

f:id:balladlee:20250730010759j:image

8月、三輪山の登拝は禁止されていた。熱中症対策だという。これも時代の流れだ。
山が人を拒むのではなく、人が山を避ける。そんな時代に生きている。

f:id:balladlee:20250901154047j:image

今日、9月1日。朝9時から10時半までの受付、13時までの下山という条件付きで解禁された。皮肉なことに、気温は8月と変わらない。空は抜けるように晴れ渡り、気温は36℃。夏は、まだ居座っている。

f:id:balladlee:20250901154233j:image

30代の頃、山頂まで30分を切って登った。そんな自分は、もう遠い。あれは若さの幻だったのかもしれない。いつかは過去に追いつきたい。だが、今は45分を切ることを目標にする。小さな現実の積み重ねの先にしか、あの頃の自分は待っていない。

f:id:balladlee:20250901154144j:image

大神神社では、毎月1日の「お朔日参り(おついたちまいり)」で境内は賑わっていた。朝の光に照らされた参拝客の背中は、神聖な静けさを纏っている。狭井神社の受付前には、既に大勢の登拝客が並び、これから向かう山への緊張と高揚が混ざり合っていた。

f:id:balladlee:20250901154223j:image

9時14分、登拝開始。

踏みしめる土は柔らかく、木々の緑は濃く、呼吸はすぐに熱を帯びる。高尾山の霊気も素晴らしいが、三輪山は別格だ。大和三山の中でも、こうはいかない。三輪山だけが放つ特別な空気。夏の強烈な日差しと、木漏れ日の優しさ。そのコントラストが目にしみる。写真に残せないのが惜しい。だからこそ、文章に託す。

20分で中津いわくら。32分で7番目の「こもれび坂」。木々の間から漏れる光が、揺れるたびに道を染める。名前のとおり、こもれびは優しく、登る足を支えてくれる。

今回は足を止めずに登ると決めていた。歩きながら水を含み、呼吸を整える。アクティブレスト。自分との小さな約束を守ることが、山に認めてもらう第一歩のように思えた。40分ちょうどで「奥津いわくら」に到着。風がひとつ吹き抜け、葉がざわめく。山が祝福してくれたようだった。今日、最初の登頂者となった。だが、それは誇りではない。ただ、この瞬間に山と向き合えたことへの小さな感謝だった。

下山すれば、また文章との格闘が待っている。希望は見えない。だが、やりがいはある。戦場カメラマンの渡部陽一さんが言っていた。「石の上にも15年」。企業に属さず、フリーランスとして戦場の写真を売り込み、初めて認められたのは15年目だったという。時間に打ち勝つのではなく、時間と共に歩むこと。やるしかない。

f:id:balladlee:20250901154251j:image

山を降りてから、参道沿いの沢井茶店に寄った。冷やし素麺をすすれば、ひんやりとした清流の気配が喉を通り過ぎていく。今日一日の締めくくりにふさわしい一杯だった。

f:id:balladlee:20250901154312j:image

山の熱気と、素麺の冷たさ。その落差が、確かに夏を生きた証のように思えた。