
JR三輪駅を降りて、日本最古の神社・大神神社へ向かう参道に、青い暖簾が風に揺れている。「栄すし」。その文字の白さが、古い木の壁に映えていた。

隣は三輪の銘菓「みむろ最中」、向かいは「万直し」。亡くなった祖父が幼少の頃から、この並びはほとんど変わっていない。駅前には今西酒造の「三輪座カフェ」ができたが、この寿司屋は時間の流れを拒むように、同じ場所で同じ空気で暖簾を上げている。

創業は百年をゆうに超える。大正か、それとも明治か。そんな昔から大神神社の参道商店街で、変わらず朝の9時に暖簾を出し、夕方5時に仕舞う。参拝客とともに店が始まり、参拝客とともに店が眠る。その律儀さに、栄寿司の呼吸がある。

戸を開けると、壁にかかる大きなのっぽの古時計が目に入る。毎朝ご主人が店に来ると、この時計は止まっている。そこからネジを巻き、時間を調整する。
店に来た人は誰もが、自分の時計を見て時間を確かめ、そして古時計がぴたりと合っていることに驚く。この店では、時間さえも“手仕事”で動いているのだ。

壁には古地図、猫の置物、乾いた注連縄。新しいものは何ひとつないのに、不思議と寂しさがない。どこを見ても「生活」が染み込んでいる。

奥の棚の上には、古い酒瓶とサイン色紙・NHKの朝ドラ『てっぱん』の題字があった。

栄寿司が100年以上も続いているのは、大神神社の参拝客に支えられているからではない。食べればわかる。百年続く理由が。そんな味だ。
握り寿司(並)

握り寿司(1,300円)のネタは驚くほど瑞々しく、まだ生きているかのような弾力。東京で2,000円の寿司ランチを食べても、このレベルには届かない。
寿司は技量によって美味しさに差が出るが、手で握るからか、人柄が味に直結する。腕やネタは東京で食べる高級寿司のほうが上だが、栄寿司のほうが好きだ。

これが“観光地の寿司”ではなく“日常の寿司”であることに、心が震える。
赤だし

汁物もまた、店の誠実さを物語る。赤だし(200円)は力強いのに“圧”がなく、やさしい。握り寿司には最高のパートナーだ。
吸い物

お吸い物(200円)も「超」のつく逸品。出汁の旨みが深く、澄んでいるのにくどくない。店内のメニューにある蒲焼と絶対に合う。今度、試してみよう。
盛合せ寿司

「栄寿司」を訪れたら、まず勧めたいのが盛合せ寿司(1100円)だ。握り寿司、箱寿司、鉄火巻き、助六寿司、卵巻き寿司をひとつの器にギュッと詰め込んだ、小さな食の玉手箱。
横に添えるのは、もちろん赤だし(200円)。これを忘れてはいけない。
ふたを開けた瞬間、ほのかに立ちのぼる酢飯の香り。握り寿司をひと口ほおばると、今さっきまで水の中を泳いでいたかのような、きりりとした生命力が舌の上に走る。瑞々しい、としか言いようがない。
いなり寿司は凛とした甘さが印象的だ。甘いだけでなく、どこか背筋の伸びるような上品さがある。この土地に積み重なった三輪の時間が、じんわりと滲み出る味だ。
巻き寿司は具材が複雑に絡み合うのに、味の輪郭は真っ直ぐ。手仕事の誠実さが、そのまま味に表れているように思える。
そして、箱寿司。舌に触れた瞬間のシャープな酸味が心地いい。四角いのに丸みを感じる、ふしぎなやわらかさがある。角の取れた四角形を食べているような、不思議な調和だ。
仕上げの赤だしをすすれば、味噌のやさしさとネギのシャキシャキとした歯ざわりが、
冷えた体にすっと染み込み、大和の粋が喉を通っていく。

山奥に暮らす人に「好きな食べ物は?」と尋ねると、寿司と答える人が案外多い。憧れなのか、懐かしさなのか。けれど、この店で寿司を食べているとわかる。大和の国には、寿司がよく似合う。ひなびた風情と上品さ、相反するふたつの魅力が、この盛合せの中に同居しているからだ。観光客にも地元の人にも勧めたい、三輪が誇る“日常のごちそう”である。
玉子うどん

母が頼んだ玉子うどんは、ふわりと卵がからみ、麺のコシが絶妙。硬すぎず、柔らかすぎず、まさに本物の仕事だ。
にゅうめん+寿司セット

初めて訪れたとき、頼んだのは「にゅうめん+寿司セット」1,000円。

湯気の向こうに浮かぶそうめんの白さが美しかった。出汁は、やわらかく、静かだ。ひと口すすれば、古い町家の廊下を歩くような懐かしさがある。この味は、未来に残さなければいけない。過去と現在とが、ひとつの椀の中で溶け合っている。

そして寿司。鯖寿司の酸味が、見事に際どい。キツくもなく、緩くもなく、舌の上で一瞬だけ光る。その刹那の調和が、あとを引く。巻き寿司は素朴で、どれも誠実な手の仕事がある。

にゅうめんを食べ終え、茶をすすりながら柱時計を見上げた。針は、少し遅れて動いていた。けれども、その遅れが、この店の時間にちょうどいい。栄寿司には、流行も技巧もない。ただ、百年分の“時間”が煮詰められている。

栄すしは、食堂ではなく、記憶そのものだ。三輪の参道を吹く風のように、静かで、どこか懐かしい。
栄すしの営業時間
- 所在地:〒633-0001 奈良県桜井市三輪387
- 電話番号:0744-42-6038
- 営業時間:月~日 9:00~17:00(年中無休)
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