大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

まほろびとvol.2〜1600年の氷文化を次の100年へ、「日乃出製氷」4代目・中孝仁の挑戦

まほろびと:1300年の氷文化を次の100年へ、「日乃出製氷」4代目・中孝仁の挑戦

奈良という土地には、心がほどける空気と、歴史よりも深い声がある。

古と今をつなぎ、まほろばの地・奈良に根を下ろす人々を訪ねる企画「まほろびと」

今回訪ねたのは、昭和16年創業、奈良県唯一の製氷メーカー「日乃出(ひので)製氷」

県内のかき氷店や飲食店など100店舗以上に氷を届け、奈良の夏を支えてきた会社だ。

4代目を務めるのは、中孝仁(なか たかひと)さん。72時間かけてじっくり育てた大和氷室(やまとひむろ)は硬く、溶けにくく、かき氷にしたときに軽い口どけを生む。その透明の向こうには、職人技だけでは語れない現実がある。

廃業寸前の危機、後継の課題、そして、奈良に残る氷文化を、商売として、仕事として、次へつなぐための取り組み。

日乃出製氷は、奈良に1600年以上続く氷文化の延長線上にある。その文化を未来へつなぐ道は、決して平坦ではない。

日乃出製氷4代目・中孝仁さんの言葉を通して、奈良の氷文化の現在地と、その先へ向かう仕事を見つめる。

奈良は“氷の聖地”である

天理市にある復元氷室

中さんの仕事を語るうえで、奈良という土地の氷文化は欠かせない。

奈良は、日本の氷文化発祥の地。『日本書紀』には氷にまつわる記録が残り、古墳時代にはすでに氷がつくられていた。その歴史は1600年以上前にさかのぼる。

奈良の山奥には、冬にできた氷を夏まで保存する「氷室」があった。そこから都へ氷が運ばれ、天皇へ献上された。天理市には、国内最古の氷室跡が残り、現在に受け継がれている。

天理市の氷室神社

奈良市と天理市には、氷の神を祀る氷室神社がある。毎年「献氷祭(けんぴょうさい)」が執り行われ、今もなお氷を奉納する風習が続いている。

日乃出製氷が展開する純氷ブランド「大和氷室」という名前も、この氷の歴史と深くつながっている。

奈良市の氷室神社

名付け親は、氷の神を祀る奈良市の氷室神社の宮司である。現在使用しているロゴの文字も、同じく宮司から頂いたものだ。

中さんは、そこに氷の神様との縁を感じている。今も毎月1日には、幅約1m、高さ約60cmの氷柱を氷室神社へ奉納している。氷をつくり、売るだけではない。奈良に受け継がれてきた氷への祈りや文化に、日々の仕事を通して向き合っている。

とはいえ、中さんは自分を必要以上に大きく見せない。決して「氷の文化を守るために生まれてきました」といった語り方はしない。むしろ、言葉はもっと現実的だ。家業として氷屋があり、気づけばそこにいた。その仕事を続けるうちに、奈良の氷の歴史と自分の仕事がつながっていった。

「お前は氷屋やで」と言われて育った

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中さんが家業を継ぐ前、奈良にも10軒ほど氷屋があった。中さん自身は、幼い頃から祖母や親戚に「お前は氷屋やで」と言われて育った。強く命じられたわけではない。両親からは「継げ」とも「継ぐか?」とも言われた記憶がない。周りの言葉の中で、大人になれば氷屋になるものだと、どこかで受け入れていた。

高校生の頃から、アルバイトとして家業を手伝った。時給は自分で決めることができた。当時、奈良の最低賃金が600円ほどだった時代に、中さんは3代目の父に交渉し、時給1200円をもらっていた。その代わり、休みなく朝から夕方まで働いた。

この話だけ聞くと、しっかり者の跡継ぎのようにも見える。しかし中さん本人の語り口には、美化が一切ない。家業を特別に愛していたというより、そこに氷の仕事があったから働いただけと言う。

大学に進んだのも、別の道を探すためではなかった。本人の言葉を借りるなら、遊ぶためである。どうせ家業に入るのなら、この4年間しか遊べない。両親も、その時間を社会に出る前の猶予期間として認めてくれた。大学を卒業するときも、就職活動はしなかった。そのまま、日乃出製氷に入った。

継ぎたいという熱意ではなく、継ぐものだという空気。使命感ではなく、暗黙の了解。そこから4代目の人生は始まった。

だが、家業に入ってみると、氷屋の未来は決して明るいことばかりではなかった。

廃業寸前。父への疑問

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日乃出製氷が厳しくなり始めた大きなきっかけは、2002年の飲酒運転厳罰化だった。その影響は夜の飲食店やBARに及び、閉店する店が増え、氷の出荷量は減っていった。

さらに2008年のリーマン・ショックが追い打ちをかける。飲食店の閉業は続き、売上は右肩下がりになった。氷と並ぶ事業の柱だったドライアイスの取引も縮小していった。

日乃出製氷は、廃業寸前まで追い込まれる。その頃、中さんは3代目である父に、こう提案した。

自分たちで氷をつくるのをやめてはどうか。他府県の製氷メーカーから氷を仕入れ、奈良の取引先に販売する事業に特化したほうがいいのではないか。

製氷には設備も人手も必要で、維持費もかかる。売上が下がり続ける中で、自社生産を続ける意味があるのか疑問だった。

しかし父はこう答えた。

「うちは製氷しかないからな。うちの武器は製氷やから」

中さんは、その言葉をすぐには受け入れられなかった。

「ちゃんと事業のことを考えているのか?」

そう思ったという。

父は製氷の現場に深く関わっていたわけではなく、配達業務を主に担っていた。なぜそこまで製氷にこだわるのか、当時の中さんにはわからなかった。

いま振り返っても、中さんは「父の判断が正しかった」ときれいには言い切らない。

あのとき製氷をやめていれば、奈良県の製氷メーカーは完全に途絶えていた。それは事実である。だが、氷の販売に特化しても、それはそれで別の人生があったかもしれない。会社として生き残る道はあったかもしれない。

普通なら、ここで「父が守ってくれたから今がある」とまとめたくなる。

しかし中さんは、そう簡単には言わない。その正直さが、中さんという人をよく表している。美談にしない。自分にも父にも、都合よく物語をかぶせない。ただ、現実として、日乃出製氷の製氷は残っている。

その残った製氷をどう次の時代に合わせていくか。そこから、中さんの試行錯誤が始まっていく。

かき氷が500円で売れるんか?

中さんの転機は、愛知県春日井市の「かき氷屋 川久(かわきゅう)」との出会いだった。2014年当時、川久はかき氷を一杯500円で販売し、業界では考えられない売上をあげていた。

中さんは驚いた。かき氷といえば祭りの屋台で200円、300円。一杯500円は高額だ。

「そんな値段で、ほんまに商売できるんか」

そう思いながら実際に食べてみると、確かにおいしかった。違ったのは、削り方だった。氷を粗く削り、シロップを一気にかけるのではない。繊細に削り、シロップをかけ、また薄く削り、またシロップを重ねる。氷とシロップが層になり、一杯の中に食感と味の変化が生まれる。

特殊な機械を使っているわけではない。他のかき氷店と同じ機械を使いながら、削り方を工夫していた。氷も1種類ではなく、何種類かの氷をその日によって使い分けていた。

中さんは衝撃を受けた。

「これなら500円でも売れる」

そう思った。その後、中さんは奥様と一緒に川久へ通い、教えを請うた。ただ氷を売るのではなく、氷がどう削られ、どう食べられ、どう体験になるのか。その視点を学んだ。

やがて、大和郡山のスイムピア奈良内に、日乃出製氷はかき氷店を開く。

製氷会社が、自らかき氷を提供する。それは、氷の価値を自分たちの手で伝える挑戦だった。

氷は素材である。けれど、素材のままでは伝わらない価値がある。削り方、温度、器、シロップ、提供するタイミング。そのすべてが合わさって、初めて「おいしいかき氷」になる。中さんは、氷をつくる人から、氷の体験を考える人へと変わっていった。

「日乃出製氷の氷っていいね」が、恥ずかしかった

奈良市の「kakigori ほうせき箱」

もうひとつ、中さんにとって忘れられない出来事がある。奈良の人気店「kakigori ほうせき箱」から、こんな言葉をかけられた。

「日乃出製氷の氷っていいね」

普通なら、うれしい言葉だ。自分たちの氷が認められた。胸を張っていい場面である。

しかし中さんは、その言葉にショックを受けた。なぜなら当時は、品質を深く考えて製氷していたわけではなかったからだ。ただ祖父から言われた通りにつくっていただけだった。全国の製氷業者と比べて、胸を張れるほど研究していたわけでもない。

それなのに褒められた。そのことが、むしろ恥ずかしかった。

その後、中さんは、広島の製氷会社が72時間かけて製氷していることを知る。72時間をかけるのは、味ではなく電気代の節約である。通常、48時間で氷をつくるには、マイナス12度ほどの強い出力で凍らせる必要がある。一方、72時間かければ、マイナス8度ほどに出力を抑えられる。中さんは思った。

「ウチも一回やってみよか」

品質への強い追究があったわけではない。電気代の節約になるなら、という現実的な理由だった。かき氷店を始めたばかりで、とにかく何でも試してみたい時期でもあった。

さらに、長崎の製氷会社が行っていた工程も知る。氷を凍らせる途中、不純物が集まった水を抜き、新しい水に入れ替える工程がある。通常は1回のところ、そのメーカーは2回行っていた。それも、日乃出製氷で取り入れた。

中さんは言う。売上を伸ばすためというより、自己満足の部分が大きかった、と。

自分がつくった氷が、なぜこの味になるのか。それを言語化できるようになりたかった。ただ祖父のやり方をなぞるのではなく、今と違うことをやってみたかった。その結果として、日乃出製氷の氷は少しずつ変わっていく。

奈良のかき氷を支える、72時間の氷

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かき氷を食べるとき、多くの人はシロップや盛り付けの美しさに目を向ける。しかし、その一杯の土台にあるのは、氷そのものだ。

日乃出製氷の氷の大きな特徴は、72時間かけてじっくり凍らせる製法である。

一般的な純氷は、水に空気を送り続け、撹拌しながらマイナス12度ほどで48時間かけて凍らせる。

日乃出製氷では、さらに時間をかけ、マイナス6度からマイナス7度ほどで72時間かけてゆっくり凍らせる。

長時間にわたり水を撹拌しながら凍結させることで、不純物は取り除かれていく。生まれるのは、クリスタルガラスのような美しさと純度の高い氷だ。

72時間という数字も、実際には固定ではない。気温によって、凍らせる温度や時間は変わる。撹拌するときに入れる空気の量も調整する。温暖化が進む現代では、夏場は80時間以上かけることも多いという。

48時間の氷は結晶の粒が細かく、線がぼやけやすい。一方、72時間の氷は結晶が大きく、線がはっきり出る。結晶が大きくそろっている氷は硬い。かき氷にとって良い氷となる。

硬く、溶けにくく、削ったときに軽さが出る。その質感を育てるために、時間がある。

「kakigori ほうせき箱」の柿の葉茶和紅茶&マンゴー

不純物を取り除いた氷には、氷特有の臭みや雑味が少ない。だからこそ、シロップやフルーツ本来の味を邪魔せず、引き立てることができる。

かき氷はもちろん、スムージーなどのフローズンドリンクにも相性がいい。氷が主張しすぎるのではなく、素材の味を支える。そこに、日乃出製氷の氷の強さがある。

「てのべたかだや」の古都華かき氷

現在、奈良県内の100店舗以上のかき氷店や飲食店などが、日乃出製氷の氷を使用している。観光客が楽しむ一杯も、地元の人が夏に味わう一杯も、裏側には日乃出製氷の仕事がある。

社長であり、職人であり、配達員

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中さんは、日乃出製氷の4代目であり、社長である。しかし、その肩書きだけでは中さんの仕事は語れない。

生産もする。
配送もする。
営業もする。

現場の声を聞き、氷の状態を見て、店に届けるところまで自分で担う。会社の経営者であり、現場の最前線に立ち続ける職人でもある。

もっとも、中さんはここでも美しい理由だけを語らない。

自分で配達するのは、人手不足が大きいという。自分がやらなければ手が回らない。だから配達に出る。けれど、その配達には大きな意味もある。

自分で店へ行くことで、店主の声を直接聞ける。大和氷室の氷がどう思われているのか、現場の反応がわかる。

72時間の氷をつくり始めた頃、中さんには確かな手応えがなかった。本当に良くなっているのか。時間をかける意味はあるのか。自分の方向は正しいのか。

ある日、かき氷店へ配達に行ったとき、店主からこう言われた。

「急に氷が足らんようになって、業務スーパーの氷を買って削ったけど、あかんわ。すぐに溶けよる。やっぱり、お前のところの氷はええわ」

それは、中さんにとって大きな言葉だった。

かつて「日乃出製氷の氷っていいね」と褒められたときは、恥ずかしさがあった。このままではいけないと思った。

しかし今度は違った。自分たちが試行錯誤してきた方向は間違っていなかった。そう思えた。

氷は目立たない。けれど、質の差は確かに味に出る。その見えない部分を支えることが、日乃出製氷の仕事である。

「そこまでかき氷が好きな人間じゃないですよ」

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中さんの人間味は、言葉の端々に表れる。氷の話をしていると、つい「かき氷を愛してやまない職人」のように描きたくなる。だが中さんは、そういうわけではないと言う。

「そこまで、かき氷が好きな人間じゃないですよ。お酒のほうが好きですね」

氷に人生を捧げる職人でありながら、自分を物語の主人公にしない。かき氷愛を過剰に語らない。

氷は、表舞台に立つものではないかもしれない。だが、体験の質を確かに変える。

「氷が変われば、かき氷の印象も変わります。だからこそ、店主の方がどんな一杯を出したいのかまで考えたいんです」

その言葉には、派手な情熱よりも、現場で積み上げてきた実感がある。そして中さんはいま、かき氷で培ってきた氷の価値を、別の飲食体験へも広げようとしている。

かき氷の先に、BARの氷がある

中さんが力を入れたいと考えているひとつが、BAR向けの氷である。

かき氷は、夏の風景をつくってきた。日乃出製氷の氷も、多くのかき氷店で使われている。しかし中さんは、氷の可能性を、かき氷だけに閉じ込めようとはしていない。その先に見ているのが、BARの世界だ。

奈良には、世界的にも評価されるバーテンダーがいる。海外から奈良を訪れ、BARで一杯を味わう人もいる。そこで使われる氷は、ただ酒を冷やすためだけのものではない。

透明度。溶け方。形。グラスに入ったときの美しさ。酒の香りや温度をどう保つか。

BARの現場では、氷の質が一杯の印象を大きく左右する。透明な氷がグラスの中に沈み、ゆっくりと酒を冷やしていく。その時間もまた、飲む体験の一部になる。

キューブアイスやスティックアイスは、かき氷用の氷とは違う価値を持つ。ハイボールのグラスにすっと収まる細長い氷。ロックグラスの中で存在感を持つ透明なキューブ。氷の美しさが、酒の時間を引き立てる。

だからこそ、日乃出製氷の透明で溶けにくい氷は、BARの現場と相性がいい。氷の価値を感じてもらいやすく、高付加価値の商品として展開しやすい可能性もある。

さらに、キューブアイスやスティックアイスは、県外発送への展開もしやすい。奈良でつくられた氷を、奈良の外へ届ける。海外から奈良のBARを訪れた人に、日本の氷の美しさや品質を感じてもらう。

それもまた、奈良の氷文化を広げるひとつの形である。

氷を売るだけではない。氷がどこで、どのように使われると価値になるのかを考える。

中さんが見ているのは、そこだ。

かき氷で培った技術と信頼を、BARの一杯へつなげていく。そこには、日乃出製氷が次の時代に向けて、氷の使われ方そのものを広げようとする姿勢がある。

透明な氷を届ける現場

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8月の繁忙期には、1日に1600kgほどの氷を出荷する日もある。暑さが厳しくなるほど注文は増え、現場の緊張感も高まる。氷は重く、溶ける。待ってくれない。生産から配送までの一つひとつに気を抜けない。

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特に大変なのは、夕方の加工だ。

製氷そのものは午前中で終わる。配達が終わると、翌日の分の氷を切る作業がある。8月の初めからお盆頃にかけて、その負担は大きくなる。

大きな工場なら、加工をロボットが担うところもある。しかし日乃出製氷の小さな工場には、その機械を置く余裕がない。だから人の手でやる。

繁忙期の負担に見合う働き方や体制をどう整えていくか。それも、中さんが向き合っている課題のひとつである。

奈良の氷文化を支える仕事。
透明な氷を育てる仕事。
次の100年へつなぐ仕事。

そう言えば美しい。けれど現実には、重い氷を運び、切り、汗をかき、それでも翌日の出荷に間に合わせる仕事である。

だからこそ、日乃出製氷は、ただ昔ながらのやり方を続けるだけではなく、配送体制の見直しや、氷の付加価値を高める取り組みを進めている。

中さんが守ろうとしているのは、伝統という言葉のきれいな部分だけではない。

暑い日に氷を届ける仕組みを整え、店の現場で使いやすい氷を考え、注文に応え続けるための仕事の形をつくることでもある。

1600年以上続く氷食文化を、次の100年へ

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日乃出製氷は、2021年で店舗営業を卒業した。2022年からは、美味しいかき氷を広める活動へと軸を移している。日乃出製氷が掲げる使命は、明確である。

「1600年以上続く氷食文化を、次の100年へつなぐこと」

ただし、その未来は、願うだけで続くものではない。

日本では、コンビニやスーパーで扱う大量生産の氷が増えている。一方で、氷屋が扱う氷の量は減っている。製氷メーカーや氷販売店は、全国的に少なくなっている。

良いものを次の代に継ぐこと。伝統や歴史を残すこと。それは、思っている以上に難しい。日乃出製氷も同じだ。

次の5代目は、今のところ決まっていない。中さん自身は、レールが敷かれて氷屋を継いだ。しかし3人の子どもたちには、こう伝えている。

「氷屋のことを考えるな。やりたいことをやるのが優先や」

2人はすでに別の会社で働いている。現実的に考えれば、5代目は簡単ではない。

現在の工場は老朽化が進んでいる。次の世代が継ぐには、新しい工場が必要になる。製氷機械のメンテナンスも必要だ。そのためには、2億円、3億円という資金が必要になる。

東京や大阪のような大都市なら、生き残る道はあるかもしれない。だが奈良のような地方では、市場そのものが縮小している。

かつて倒産危機を迎えたときと同じような状況が、今また迫っている。氷と並ぶ柱だったドライアイス事業も縮小している。これからは、製氷の価値をどう高め、どう届けるかが問われている。

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良い氷をつくれば残る、という単純な話ではない。工場は古くなる。機械は傷む。人は足りない。夏場の仕事はきつい。新しい工場を建てるには、億単位の資金が必要になる。後継の問題もある。

しかし、日乃出製氷は、そこで立ち止まっているわけではない。

かき氷文化を広げていくための講習
氷の扱い方や、機械選定の相談
BAR向けのキューブアイスやスティックアイス販売
新しい配送体制の整備

「氷を売る会社」から「氷文化を育てる会社」へ、中さんは、氷を「つくる」だけでなく、どう使われ、どう選ばれ、どう商売として残っていくかまで考え、大和氷室の価値向上に取り組んでいる。

特に、BAR向けの氷は、日乃出製氷にとって大きな可能性を持つ。

かき氷は奈良の夏を支えてきた。BARの氷は、季節を越えて使われる。奈良の氷を、奈良の中だけで終わらせず、より広い飲食の現場へ届けていく。

それは、製氷会社として生き残るための商売であり、奈良の氷文化を現代の飲食体験として広げる仕事でもある。

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奈良の氷文化を未来へつなぐには、歴史を語るだけでは足りない。

飲食店に選ばれる品質がいる。
現場で使いやすい形がいる。
店主が安心して相談できる関係がいる。
そして、会社として続けていける仕組みがいる。

だからこそ、中さんは「必ず残します」と簡単には言わない。現実を知っているからだ。それでも、何もしないわけではない。

氷を扱う店の困りごとを聞く。
配送を整える。
大和氷室の価値を磨く。

そうした一つひとつが、次の時代へつなぐための仕事になる。

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日乃出製氷の氷がなくなれば、それは一社の廃業にとどまらない。奈良で氷をつくる現場が、途切れるということだ。

奈良に1600年以上続く氷の文化は、特別な場所に保存されているわけではない。日々の注文と、翌日の出荷と、氷を必要とする店との関係の中で続いている。

日乃出製氷は、多くの課題を見つめながら、氷の使われ方を広げ、届け方を整え、奈良の氷を商売として次へつなごうとしている会社である。

中さんは今日も、氷をつくる。

それは、過去を守るためだけではない。

奈良の氷が、明日の店で、明日の一杯に使われるためである。

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