大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

「槙尾山 西明寺」〜指月橋を渡ると、古都は深くなる

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奈良を知るために、京都を歩く。

奈良と京都は、向かい合って育った二つの古都ではなく、長いあいだ同じ時間の流れを分け合ってきた場所。文化も信仰も美意識も、奈良で生まれたものが京都で洗われ、京都で研ぎ澄まされたものがまた奈良へ戻っていく。その行き来のなかで、古都は古都になった。

京都へ行くのは寄り道ではなく、奈良を、もう少し深いところで見るための道である。

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川端康成が『古都』のなかで、初夏の京都として選んだのが三尾(さんび)である。高雄山(たかおさん)の神護寺、栂尾山(とがのおさん)の高山寺、槙尾山(まきのおさん)の西明寺。それぞれの山号に「尾」の字がつくことから、総称して三尾と呼ぶ。

《鳥獣人物戯画》の寺として知られる高山寺、「かわらけ投げ」で有名な神護寺と違い、西明寺は静かである。川端康成『古都』のなかでも、西明寺だけ詳しい描写が出てこない。その分、奈良に最も近い空気を醸し、かつ京都らしい凛とした雰囲気を漂わせる。

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清滝川の清流と朱塗りの欄干、秋の紅葉とのコントラストで有名な指月橋(しげつきょう)を渡り、山門へ向かう。

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清滝川(きよたきがわ)は京都市を流れる20キロの清流。風光明媚な地域を抜け、保津峡で保津川(桂川)に合流する。

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指月橋を渡って山門へ向かうころには、もう街の時間は背中のほうへ退いている。朱塗りの橋の色も、清滝川の光も、さっきまでは旅の景色だったのに、門をくぐると、それがそのまま寺の空気に変わる。

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西明寺は、真言宗大覚寺派の寺。天長年間(824~834)に空海の高弟、智泉が神護寺の別院として創建した。鎌倉時代に再興され、神護寺から独立したが、室町末期に兵火にあって荒廃し、慶長七年(1602)に明忍によって再興された。

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まわりを包む楓の新緑が、陽の強さをやわらかく受け止めている。遠くまで来た、という実感は、こういうときに訪れる。広いのに、どこか閉じている。その閉じ方が心地いい。山に守られているというより、山の懐へ少しだけ入れてもらっているような感じがある。

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観光都市・京都にいることを忘れるほど静かだが、鄙びてはいない。むしろ、静けさの奥に、きりっとした京都の気配が残っている。その不思議さがいい。奈良の山寺を歩くと、時間が土や木に溶けているように感じることがあるが、西明寺では時間がもう少し澄んでいる。やわらかさより、清潔な緊張がある。

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境内を歩いていると、ふと奈良の寺を思う。空気の張りも、建築の線のきっぱりした美しさも、奈良とは違う。だが、山の斜面に沿って伽藍が置かれ、木々のあいだから堂の屋根がのぞき、鐘の下を風が抜けていくさまを見ていると、奈良の山寺と遠くで通じ合うものを感じる。似ているのではない。同じように、都の外れで山と向き合い、祈りを置いてきた時間の長さが、両方の寺に流れているように感じる。


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本堂は、元禄年間に桂昌院の寄進によって再興された建物。豪壮というより、よく整っている。軒の反りも、柱の立ち方も、山里の寺にふさわしい節度がある。本尊として祀られるのは、運慶作と伝わる清凉寺式の釈迦如来立像。旅の途中で立ち寄ったというより、むしろ旅の速度をここでいったん落とされる。

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しばらく立ち止まり、風の音を聞き、葉の揺れを見て、また歩き出す。西明寺には、そういう旅の余白がある。初夏の京都を歩くなら、こういう寺をひとつ胸に残して帰るのがいい。
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本堂の周囲の廊下を歩いて客殿に入る。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築された建物。当時は食堂と称して、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていた。秋には、茶室として使用され、抹茶を楽しむことができる。

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寺が山を背負っているというより、山といっしょに呼吸しているように見える。風が抜け、葉がかすかに揺れ、光が鐘の黒い肌にわずかに触れる。その前に立っていると、音を待つ気持ちよりも、音の来ない時間そのものがありがたくなってくる。

奈良の寺でも、こういう瞬間がある。西明寺は、名所を見終える場所ではなく、静けさをひとつ持ち帰るための寺なのである。

京都を巡る旅