大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

柿本人麻呂「鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば」〜愛されるより愛したい

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鳴る神の 少し響(とよ)みて 降らずとも 我は留(とど)まらむ 妹(いも)し留めば

現代訳

雷の音がかすかに鳴って、たとえ雨が降らなくても。君が「行かないで」と言うなら、私はここに留まろう。

歌の意味

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「鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば」

「鳴る神」は雷のこと。古代では、雷は天の神の現れ、または神意の兆しとして畏れ敬われた。

「少し響みて」は雷が遠くで鳴るさまを表し、別れの時に空気が張りつめるような情景を映している。

「降らずとも」は、「たとえ雨が降らなくても」の意味。「妹し留めば」は、「愛しい人が引き留めてくれるならば」という思いを表す。

この歌は、先の「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」に応じた形で詠まれた「返し歌(返歌)」とされる。

恋人を引き止めようとする女性の歌に対し、男性が「たとえ雨が降らずとも、君が望むなら残ろう」と応える。互いの想いが自然の情景を媒介として交わされる、万葉恋歌の中でも屈指の名場面である。

出典

この歌は『万葉集』巻十一(2514番)に収められている。女性(妻)の「君を留めむ」に対して、男性(人麻呂)の「我は留まらむ」が応答している構図。二首をあわせて読むことで、別れの間際に交わされた、万葉時代の「愛の対話」が立ち上がる。

この二首は新海誠監督の映画『言の葉の庭』(2013年)で重要なモチーフとして登場する。

27歳の雪野が詠んだSOSの和歌に対し、「あなたの想いはわかっています」「そばに寄り添います」という孝雄の返事である。

詠んだ人

作者は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と伝えられる。7世紀後半から8世紀初頭にかけて活躍した宮廷歌人で、山部赤人と並ぶ「歌聖」。天武・持統・文武の三代の天皇に仕え、国家的儀礼の歌から個人的な恋歌まで幅広く詠んだ。

この「鳴る神」の一連の歌は、人麻呂の公的な荘厳さよりも、人間的で親密な感情表現が際立つ。『万葉集』の中でも特に美しい相聞歌である。

歌の素晴らしさ

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鳴る神の 少し響みて 降らずとも 我は留まらむ 妹し留めば

この歌の魅力は、応答の優しさと静かな決意にある。

前歌「雨も降らぬか君を留めむ」が“恋の願い”なら、この歌はそれに応える“愛の約束”である。

「降らずとも」という言葉には、「たとえ天が動かなくても、神様がなんと言おうと、君の言葉だけで十分だ」という深い情が込められている。

自然が人の心を代弁していた時代に、人麻呂は“言葉そのものが天を動かす”という古代人の信仰を、恋の誓いとして詠みあげた。

雷の響き、曇る空。それは別れの前の沈黙のようでもあり、その中で交わされた「留めむ」「留まらむ」という呼応のことばは、祈りが響き合う。

「鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば」

この一首は“愛されること”より、“愛に応えること”の尊さを歌っている。

そして千三百年を越えた今も、『言の葉の庭』の雨の東屋で、二人の声が静かに呼び交わしている。

 

柿本人麻呂の和歌