大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

柿本人麻呂「巻向の桧原も未だ雲いねば小松が末ゆ淡雪流る」〜三輪山、冬の奇景色、冬の対比美

「巻向の桧原も未だ雲いねば小松が末ゆ淡雪流る」

巻向(まきむく)の

桧原(ひばら)も未(いま)だ

雲いねば 小松が末(まつ)ゆ

淡雪(あわゆき)流る

現代訳

巻向(まきむく)の檜原(ひばら)の空には、まだ雲もかかっていないというのに、
その手前にある小松の梢には、淡い雪がさらさらと流れ落ちていくことだ。

歌の意味

この歌は、大和国巻向(奈良県桜井市)周辺の冬景色を詠んだ自然歌である。「桧原」は、檜(ひのき)がまっすぐに並ぶ神聖な林を指し、古代では祭祀と深く結びついた地名でもある。巻向は三輪山の麓に広がる古代の中心地で、万葉歌でも重要な聖域として詠まれる。

「雲いねば」は「まだ雲が出ていない」の意。空は晴れているにもかかわらず、小松の梢には淡い雪がふわりと落ちてくる。これは「木の枝に積もっていた微かな雪が、風でさらさらと舞い落ちる情景」と解される。

視界の奥(桧原)は晴天、手前の松の梢だけが白く揺れるという、遠景と近景の対比が鮮やかで、冬の光と空気をきわめて繊細に捉えた歌である。

出典

『万葉集』巻十・2314番歌。巻十は「冬・雪・山・鳥」など、自然詠を中心に構成された巻であり、季節の移ろいを簡潔な短歌形式で写し取るのが特徴である。その中でも本歌は、冬の微細な光景を詠む技巧歌として位置づけられる。

詠んだ人

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)。
飛鳥時代後期を代表する万葉歌人で、長歌と短歌の双方にすぐれ、「歌聖」と称される人物。

巻十には人麻呂歌集からの引用(人麻呂歌集系歌)が多く、本歌もその一つとされる。人麻呂が実際に詠んだ歌か、それに連なる歌群(人麻呂歌集)に収録されていた歌であり、いずれにしても人麻呂的な自然描写の美が濃い。

歌の素晴らしさ

「巻向の桧原も未だ雲いねば小松が末ゆ淡雪流る」

この歌の美は、「静けさの中で起こる小さな変化」を視覚的に捉えた点にある。

・空には雲がない(=動きがない)
・だが、小松の梢でだけ淡雪がさらさらと落ちる(=小さな動きがある)

この対比が、冬の清冽な空気をまざまざと伝える。「淡雪流る」という表現は、雪を水のように“流れるもの”として捉える万葉的感性で、光を受けて舞い落ちる雪の動きを詩的に描き出す。人麻呂歌の特徴である「遠景と近景の重ね合わせ」「神域の風景を物語る静謐さ」が凝縮された、冬景歌の佳作である。

 

万葉歌碑がある相撲神社

『万葉集』の柿本人麻呂の和歌