
奈良県桜井市、三輪山の西麓に広がる「纒向古墳群(まきむくこふんぐん)」は、古墳時代の幕開けを告げた最初期の古墳群である。弥生時代から古墳時代へと移り変わる3世紀の大和で、ここに初めて前方後円墳という独特の墓制が誕生した。現在確認されている主な古墳は6基。いずれも「纒向遺跡」と呼ばれる古代都市の範囲に分布しており、邪馬台国との関連でも注目されている。

この地は、天理市から桜井市にかけて延びる「山辺の道」の南部にあたり、柳本古墳群と並んで「オオヤマト古墳集団」を構成している。三輪山を背に、古代の王権が形成されたその始まりの地。それが纒向古墳群である。
纒向古墳群(前方後円墳6基)の比較表
| 古墳名 | 築造時期 | 墳丘長(m) | 主な出土遺物 |
|---|---|---|---|
| 纒向石塚古墳 |
2世紀末〜 3世紀前半 |
96 |
弧文円板、朱塗の鶏形木製品 木製鋤・鍬・建築材など木製品、 土師器(纒向I式) |
| 纒向矢塚古墳 | 3世紀中葉以前 | 96 | 須恵器(纒向Ⅲ式)、瓦器 |
| 纒向勝山古墳 | 3世紀中葉以前 | 110 |
木製の刀剣把手、団扇、槽などの祭祀具、 U字形木製品、土師器(布留0式) |
| 東田大塚古墳 | 3世紀中葉以前 | 110 |
土師器(布留0式)、木製品、 安山岩板材(埋葬施設材の可能性) |
| ホケノ山古墳 | 3世紀中葉 | 80 |
画文帯同向式神獣鏡1面、 内行花文鏡片・神獣鏡片、 二重口縁壺(庄内式)多数、 銅鏃約60・鉄鏃約60、素環頭大刀、 鉄製刀剣類・農工具 |
| 箸墓古墳 | 3世紀後半 | 278 |
特殊器台形埴輪片、壺形埴輪片、 有段口縁の底部穿孔壺形土器(周濠上層)、 木製輪鐙(周濠上層出土) |
纒向古墳群の6基はいずれも3世紀を中心に築かれ、日本最古級の前方後円墳として知られる。初期の4基(石塚・矢塚・勝山・東田大塚)は「纒向型」と呼ばれ、前方部が小さく、葺石や埴輪を持たない素朴な形をしている。
ホケノ山古墳では、弥生から古墳への移行を示す石囲い木槨や豊富な副葬品が確認され、古墳文化の黎明を象徴する。
一方、箸墓古墳は規模・構造ともに飛び抜けており、定型化した前方後円墳の最初の完成形とされる。6基は、古墳時代の始まりを告げる“王墓の系譜”を今に伝えている。
箸墓古墳

全長278メートルにもおよぶ巨大な前方後円墳で、纒向古墳群の盟主的存在。墳丘は五段築成で、前方部は撥(ばち)形に大きく広がる。築造は3世紀中葉から後半と考えられ、古墳時代の定型化した最初の前方後円墳とされる。
『魏志倭人伝』に記された女王・卑弥呼の墓にあたるとする説も古くからあり、宮内庁は「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)大市墓」として管理している。箸墓の登場をもって、日本史上「古墳時代」が始まるとされる。
ホケノ山古墳

箸墓古墳の東に位置し、全長約80メートルの帆立貝形前方後円墳。3世紀中頃の築造とされ、墳丘には葺石をもつ。発掘調査で発見された「石囲い木槨(いしいかこいもっかく)」は、大型のくり抜き木棺を石で囲う独特の構造で、弥生から古墳への過渡期を示す重要な発見であった。
出土品には画文帯神獣鏡や鉄剣、銅鏃・鉄鏃、農具、二重口縁壺など130点以上が含まれる。被葬者は不明だが、地元では天照大神を祀った皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の墓と伝えられる。
纒向石塚古墳

桜井市太田に所在。全長約96メートルの前方後円墳で、周囲には幅20メートルを超える周濠がめぐる。葺石を持ち、鶏形木製品や弧文円板、大量の木製農具などが出土した。
特にヒノキの板材が残されており、年輪年代測定では西暦200年前後の伐採と推定されている。これは日本で最も古い年代を示す木材のひとつであり、前方後円墳の誕生期を知る手がかりとなっている。約16万基ある古墳のなかで「日本最古は?」と訊かれたら、纒向石塚古墳が答えの一つとなる。
纒向勝山古墳

桜井市東田町にある全長約110メートルの前方後円墳で、墳丘の形が美しく、周濠に水をたたえる景観が特徴的である。発掘では埴輪が見つからず、初期古墳特有の簡素な構造を保つ。
周濠からは木製の刀剣の柄や団扇(うちわ)、槽(ふね)など祭祀に使われた木製品、布留0式の土師器などが出土し、当時の儀礼や政治的祭祀の存在を示している。築造は3世紀前半から中頃とみられる。
纒向矢塚古墳

東田町矢塚の田園地帯にあり、全長約96メートルの前方後円墳。後円部の直径は約64メートル、前方部は約32メートルと短く、典型的な「纒向型前方後円墳」の形を示す。
墳丘の上には板石が露出しており、竪穴式石室か箱式石棺があったと考えられる。築造は3世紀中頃以前で、葺石や埴輪を持たない点からも、前方後円墳の初期段階を示す貴重な遺構である。
東田大塚古墳

纒向古墳群の中で箸墓に次ぐ規模を誇る全長約120メートルの前方後円墳。後円部径約68メートル、高さ約9メートル。3世紀後半の築造とされ、箸墓古墳とほぼ同時期と考えられる。
墳丘には葺石があり、埴輪は確認されていない。周濠外から甕棺(かめかん)が見つかり、地域間の交流を示す資料となっている。地元では卑弥呼の墓説も根強く、卑弥呼の時代を象徴する古墳として知られる。
大和びとにとっての纏向古墳群
大和の人にとって、纒向という土地は、ただの遺跡ではない。それは「始まり」の場所だ。三輪山の麓に広がる田の向こう、朝霧の中にうっすらと浮かぶ丘々。そこに眠るのは、血の奥底に流れる古代の鼓動である。
人が稲を植え、酒を醸し、祈りを捧げたその原点が、いまもこの地の空気の中に息づいている。纒向古墳群とは、そうした「日本という国の胎動」がそのまま残された場所なのだ。
桜井の人々は、この地を軽々しく“遺跡”とは呼ばない。それは「生きている土地」だ。朝、三輪山から風が吹き下ろし、稲がそよぐとき、そこには確かに何かが宿っている。言いようのない温もりと静けさが、心の奥にまで沁みてくる。ひとつの丘に登ると、風が古代を運んでくる。
纒向石塚古墳の上に立つと、まだ見ぬ王たちの夢が、土の中で微かに揺れているような気がする。矢塚や勝山の周濠には、祭祀の儀の音が、いまも水面の下で眠っている。ホケノ山では、棺を囲う石の冷たさが、弥生と古墳の狭間を越えて人の死を包み込む。
そして、箸墓の巨大な墳丘。その静かな曲線に、誰もが黙り込む。風の音だけが、時間の層をゆっくりとめくっていく。
「大和」という言葉には、不思議な重さがある。単なる地名ではなく、心の在りかだ。
この地に生まれた人々は、知らず知らずのうちに、古代の声を受け継いでいる。田に水を引くとき、祭りで太鼓を叩くとき、あるいは夕暮れに三輪山を仰ぐとき。そこには、2000年前と変わらない光が息をしている。
纒向古墳群を歩くと、人は不思議な感覚に包まれる。時間が溶け、過去と現在の境が曖昧になる。草を踏むたびに、千年の記憶が足元で鳴る。それは考古学の知識では届かない感覚であり、土地の人間にしか分からない体温のようなものだ。
桜井の大地は、語りたがっている。「ここからすべてが始まった」と。そして、その声に耳を傾ける者こそが、本当の意味での“大和びと”なのだ。
纒向古墳群は、ただ古い時代を伝えるだけではない。いまを生きる者たちに、「何を信じ、何を受け継ぐのか」を静かに問いかけている。
風が吹くたび、あの丘の上で、その問いは永遠に繰り返されている。
|
|
|
|