
奈良県桜井市の忍阪(おっさか)に鎮座する忍坂坐生根神社(おしさかにますいくねじんじゃ)は、外鎌山(とがまやま・忍坂山)の西麓に立つ古社。忍阪の氏神として古くから厚い信仰を集めている。

創建は不明だが、すでに『延喜式神名帳』(927年)に名を残す式内社であり、『大倭国正税帳』(天平2年・730年)や『新抄格勅符抄』(大同元年・806年)にも「生根神戸」「生根神一戸大和」と記されている。つまり、奈良時代以前からこの地で信仰が続いていたことがわかる。

祭神は、国造りや医薬の神として知られる少彦名命(すくなひこなのみこと)と、額田部氏の祖神・天津彦根命(あまつひこねのみこと)。三輪の大神神社(祭神・大物主命)と深い関係があり、『三輪流神道深秘抄』には「忍坂宮イクネ大明神、いずれも三輪ノ大明神ノ御子神といへり」、つまり「忍坂の生根神社の神々は、大神神社の主神・大物主命の子ども(または分霊)とされている」
少彦名命と大物主命は国造りを共にした神であり、この神社が三輪信仰と一体のもとに生まれたことを示している。

境内には本殿がなく、拝殿の背後にある宮山(忍坂山の一部)をご神体として拝している。拝殿は西向きの切妻造で銅板葺き。周囲には石灯籠が23基並び、最古のものは延宝2年(1674年)の刻銘を持つ。現在も忍阪の住民が毎日交代で灯明をあげ、神への祈りを絶やさず守り続けている。

拝殿の北側には、神が宿るとされる「磐座(いわくら)」があり、地元では親しみを込めて「石神さん」と呼ばれる。幅30〜50cm、高さ10〜40cmほどの自然石21個を並べたもので、古代の自然信仰を今に伝える貴重な遺構である。毎月1日には地区の隣組長が交替で供え物をし、神主が祝詞を奏上する慣習が続いている。

拝殿に向かって左側には珍しい“子持ち狛犬”があり、訪れる人の目を引く。
拝殿の北には、石位寺の東から移された「天満神社」(祭神・菅原道真)があり、学問と雷除けの神として信仰されている。さらに、拝殿の石段の左右には境内社として「神女神社」(市杵嶋姫命を祀る水の神)と「愛宕神社」(火伏の神)が並ぶ。こうした配置には、古代の人々が“火と水”“知と癒し”の調和を祈っていた形跡がうかがえる。
年中行事の中でも、もっとも重要なのが10月17日の例祭。大晦日には区の役員と新旧の隣組長が集まり、拝殿裏の聖域を紙垂(かみしで)付きの注連縄(しめなわ)で囲み、正面石段の榊には宮山から採った杉の小枝を編みこんだ注連縄を垂らして新年を迎える。古来からの神域のしるしをいまも守り続ける行事である。

境内には、正徳5年(1715年)の石橋、宝暦8年(1758年)の石段、慶応2年(1866年)の手水鉢など、江戸から幕末にかけての奉納物が多く残る。拝殿下の陰陽石は、村の安寧と繁栄を静かに見守ってきたと伝わる。

境内の一角には「生根会館」があり、その前には万葉歌碑が建つ。歌は『万葉集』巻13・3331にある次の一首で、作者は不詳、書は洋画家・有島生馬。
こもりくの 泊瀬の山 青幡の
忍坂の山は走出の
よろしき山の 出で立ちの
くわしき山ぞ あたらしき山の
荒れまく惜しも
(意味)泊瀬の山、忍坂の山は、家からひと走り出たところにある美しい山である。
この立派な山が年ごとに荒れていくのは、なんとも惜しいことだ。

『万葉の道』の著者・扇野聖史氏は、平安期の医書『大同類聚方』に記された「生根薬」の伝承をもとに、忍坂の生根神社と額田部氏の関係を指摘している。額田部氏は天津彦根命の子孫とされ、この地に住み、薬を奉じた家系であった可能性が高いという。この説から、鏡王女や額田王が育った地が忍坂ではないかという考えも生まれている。

忍坂坐生根神社は、神話と薬、山と人の祈りが交わる場所である。今も「石神さん」と親しまれ、地区の人々が灯すあかりの中で、古代からの信仰が静かに息づいている。
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忍阪の神社