大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

春日神社(脇本)と脇本遺跡 〜「泊瀬朝倉宮」伝承の地

春日神社(脇本)と脇本遺跡 〜「泊瀬朝倉宮」伝承の地

奈良県桜井市脇本の集落の奥に、静かな鎮守・春日神社がある。南向きの境内には石の明神鳥居が立ち、石灯籠が並ぶ参道の先に拝殿が見える。

春日神社(脇本)と脇本遺跡 〜「泊瀬朝倉宮」伝承の地

拝殿の奥には檜皮葺の本殿があり、その背後には木々の生い茂る丘陵がせまる。屋根の鬼板には春日大社と同じ下り藤の紋が刻まれ、古い春日信仰を伝えている。

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春日神社は、古代の「脇本遺跡」の中枢に位置する。この遺跡は奈良盆地の東南部、三輪山と外鎌山(忍阪山)に挟まれた泊瀬谷の入口にあたる場所にあり、古代の大和王権の中心地であった。

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春日神社周辺には遺構が東西約300メートル、南北約250メートルにわたって散在していたと考えられている。飛鳥に宮が移る以前、この一帯、三輪山の西南麓から天香具山のあたりには、天皇や皇后の宮が13もあったと伝わる。

まさに大和政権の政治・祭祀の核が集まった地域である。脇本遺跡はこれまで18次にわたって橿原考古学研究所と桜井市教育委員会による発掘調査が行われた。その結果、5世紀後半、6世紀後半、7世紀後半の大型建物跡が確認されている。

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特に5世紀後半の遺構は、雄略天皇の「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」跡と推定されており、南北方向の掘立柱建物2棟は脇殿、そして正殿は春日神社西側の集落内にあったのではないかと考えられている。

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雄略天皇は『万葉集』巻一の巻頭を飾る歌で知られる第21代天皇で、当時は「大王(おおきみ)」と呼ばれていた。

籠もよみ籠持ち ふくしもよみぶくし持ち
この丘に菜摘ます児 家聞かな名告らさね
そらみつ大和の国は おしなべてわれこそ居れ
しきなべてわれこそませ われこそは告らめ 家をも名をも

この歌は、大和の地を見渡しながら若き大王が詠んだと伝えられており、その情景をこの脇本の丘に重ねると深い感慨を覚える。

さらに、6世紀後半の遺構は「泊瀬柴垣宮(はつせのしばかきのみや)」跡、7世紀後半のものは大伯皇女(おおくのひめみこ)の斎宮跡とする説もある。

朝倉橋から見る初瀬川

この地の前には泊瀬川(初瀬川)が流れ、近くには大和王権の武器庫とされる忍阪や、軍事氏族・大伴氏の本拠地もあった。水陸交通の要所として、大和と東国を結ぶ極めて重要な地であったことがうかがえる。

春日神社(脇本)と脇本遺跡 〜「泊瀬朝倉宮」伝承の地

現在、脇本遺跡の姿はなく、住宅街となっている。春日神社や朝倉小学校も脇本遺跡の一部とされる。これは春日神社を訪れた際、ご近所の主婦の方が丁寧に教えてくれた。

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発掘調査区の多くは埋め戻され、あるいは建物が建てられ、いまは地中にその姿を隠している。それでも、地名と地形、そして静かな空気の中に、古代の宮の記憶が確かに息づいている。

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春日神社の創建年代は不明だが、本殿は慶長8年(1603年)に建立された三間社春日造で、奈良県指定文化財である。屋根は檜皮葺、向拝には五級の木階を備え、蟇股や組物には極彩色の痕跡が残る。桃山時代の技法が随所に見られ、建築的にも価値が高い。母屋には三組の扉を設ける三間社春日造という希少な形式を採り、格式の高さを伝えている。

春日神社(脇本)と脇本遺跡 〜「泊瀬朝倉宮」伝承の地

祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとだまのみこと)、天宇受女命(あめのうずめのみこと)の三柱。いずれも天照大神の岩戸開きに関わる神々である。

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境内は、丘陵を削って造成された地形の上にあり、古代の造営の名残を今に伝える。地表からは古墳時代の土器片が散見され、朝倉宮の整地にともなう遺構とみられている。参道の前を通るのは旧伊勢街道で、古くから多くの人々が行き交った道である。

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脇本遺跡は近鉄大和朝倉駅から徒歩約10分の距離にあり、現地を訪ねる際は春日神社の境内や万葉歌碑を巡りながら歩くとよい。さらに近くの玉列神社や忍阪方面も合わせて訪れると、この地が古代大和の中心であったことを肌で感じることができるだろう。

春日神社(脇本)と脇本遺跡 〜「泊瀬朝倉宮」伝承の地

春日神社の鳥居の向こう、静かな丘の稜線に風が渡るとき、そこに確かに残るのは「大王の宮」の記憶である。遠い昔、若き天皇が菜を摘む娘に声をかけたその丘に、今も淡い光が差している。

 

桜井市の春日神社