大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

奈良県桜井市金屋にある「海柘榴市(つばいち)」は、日本最古の市場。奈良時代の交易・文化・交通の要衝としての役割を果たし、今は静かに眠る。

「海柘榴市」の由来と歴史的背景

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

「海柘榴(つばい)」とは椿の花の古名であり、海柘榴市の名称も、三輪山の麓が椿の生い茂る場所であったことや、椿の木材や油がこの市場で盛んに取引されていたことに由来する。今でも海柘榴市観音堂の裏の三輪山に多くの椿が咲き、大和平野を見渡す市場の中にひとつ椿の木がある。

海柘榴市の成立

「海柘榴市」の由来と歴史的背景

海柘榴市の名前が最初に登場するのは『日本書紀』の「海柘榴市の巷(ちまた)」であるが、邪馬台国やヤマト王権の時代である3、4世紀には、すでに存在したと考えてられている。

御神木である椿の木の下で、物々交換をしたのがはじまり。そこから徐々に賑わいを見せ、他国との交流や外国の使者を迎える迎賓館、男女の出逢いの場、長谷寺に参拝する観光客の宿場町として栄えていった。

海柘榴市は『万葉集』などで「八十の衢(やそのちまた)」と呼ばれた。衢(ちまた)とは、四方に通じる広い通り(十字路)や、道の分岐点を指す。

海柘榴市

海柘榴市の周辺

海柘榴市に関する面積の記述はないが、現在の田園地帯も含めて広大だったと思われ、現代のイオンモールのようなイメージの市場である。

仏教伝来と海柘榴市

遣隋使を迎えた錺馬(かざりうま)

538年に仏教が伝来したときも、初瀬川から海柘榴市を訪れている。『日本書紀』に、「隋の使者である裴世清が難波津から小墾田宮に入った。その日に飾りつけた馬75匹を派遣して海石榴市の衢(ちまた)で迎えた」とあり、海柘榴市は飛鳥時代も都の外港の機能を果たしていた。そのときの馬をイメージしたものが、現在も仏教伝来の地の金屋河川敷公園に建てれている。

585年には仏教排斥を唱えていた物部守屋が、日本で最初の留学生で仏教の尼さんだった善信尼(ぜんしんに)を海柘榴市の亭(駅)で鞭打ちをした記録が残っている。

小野妹子と海柘榴市:遣隋使の道の記憶

小墾田宮

推古天皇15年(607年)、日本は初めて隋へ公式な使節を派遣した。その使者こそが小野妹子だ。妹子は聖徳太子と蘇我馬子の信任を受け、国家を代表して「日出ずる処の天子」からの国書を携え、海を渡った。翌年には隋の使者・裴世清(はいせいせい)が来日し、推古天皇のもとに国書を奉った。この外交儀礼が行われたのが、小墾田宮(おはりだのみや)である。

海柘榴市は、その往還の拠点に位置していた。難波津から大和へと至る古道は、この地で山の道と合流し、飛鳥へと通じていた。裴世清ら隋の使節団も、この市場を経て小墾田宮へ向かったと考えられている。海柘榴市は外交と交易が交錯する国際都市のような賑わいを見せていた。

海柘榴市の崩壊と移転

『日本紀略』によると延長四年(926年)に長谷寺で起こった台風による山崩れや初瀬川の氾濫の土石流が海柘榴市に至って、壊滅的な被害を受けた。

そのため、海柘榴市は金屋から、三輪の地(現在の三輪坐恵比須神社の付近)へ移され、受け継がれた歴史を持つ。

海柘榴市観音(現在の姿)

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現在、海柘榴市に関連するもので残っているのが「海柘榴市観音」であり、石仏を祀る場所でもある。中には入れず、お賽銭を入れて半鐘を鳴らす。観音石仏2体はいずれも元亀年間(室町時代)に造られたもの。

海柘榴市観音

右側が長谷寺式十一面観音立像、左側が聖観音菩薩立像。

現在の海柘榴市は山辺の道の休憩地点でもあり、公衆トイレと木の椅子と机が設置されている。ここで昼ご飯を食べたりする。

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

金屋の自治体がボランティアで清掃をしている。かつては民家があった。

海柘榴市の範囲

古代の海柘榴市は現在の観音堂周辺だけでなく、初瀬川の右岸・左岸の河原地帯を含む広い範囲に及んでいた。

現在の初瀬川の小ささからは想像できないが、1000年以上前は湿地帯であり、もっと海のような広さ。川は単なる地理的な境界ではなく、むしろ市の中心的存在であり、水運や交易の利便性を生かした「川の市」だった。

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

初瀬川の水辺は、商いと祈りが共存する特別な空間として、長谷寺や三輪山の信仰圏と深く結びついていた。海柘榴市は、現在の観音堂周辺を核としながら、初瀬川の流れそのものを包み込む“市の河原”であり、大和の経済と文化を支えた古代市場である。

交易の中心地としての役割

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海柘榴市は、 山の辺の道(やまのべのみち)と初瀬街道(はせかいどう)が交差する地点に位置し、 古代から中世にかけて、全国各地から商人が集まり、物資の交換が行われた。特に東国(現在の関東・東海地方)からの産物が集まり、大和(奈良県)や畿内一帯に流通した。取引されていたものとして、以下のようなものが考えられる。

  • 農産物・食料品:米、麦、粟、豆、魚、塩、酒、蜂蜜など
  • 繊維製品:絹、麻布、藍染布
  • 金属製品:鉄器、農具、武器、仏具
  • 薬草・香料:薬の材料となる植物や、香料としての樹木の皮や樹脂
  • 工芸品・陶器:土器や漆器、木工製品

海柘榴市が大いに栄えた理由の一つに、大和朝廷の直轄市場としての役割があったことが挙げられる。ここで取引される品々の中には、朝廷への献上品として納められるものもあり、単なる商業の場ではなく、国家の経済を支える拠点でもあった。

文化と宗教の交流の場(歌垣の場)

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

海柘榴市は物資の取引所だけではなく、文化交流の場としても機能していた。近くには大神神社(おおみわじんじゃ)や長谷寺(はせでら)といった古代からの信仰の地があり、巡礼者や僧侶がこの地を訪れた。

また、特定の日に男女が集まって歌を詠み交わし合い、恋を成就させようとする古代の風習である歌垣(うたがき)の場所でもある。歌垣は男女が一夜を共にし、生殖行為をすることで、五穀豊穣を願う意味があったとされ、多くの恋や失恋が生まれた。

平安時代には和歌や詩にも詠まれ、歌人や文化人の往来も多い。『万葉集』にも海柘榴市を詠んだ歌が残され、その繁栄ぶりがうかがえる。

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

紫は灰さすものぞ 海石榴市の 八十(やそ)の街(ちまた)に 逢へる子や誰れ

→この海石榴市の道で出会ったあなたの名は? 教えて欲しい

海石榴市の 八十の衢(ちまた)に立ち平し 結びし紐を解かなく惜しも

→海柘榴市で出会い、互いに結び合った衣服の紐を、一人で解くのは惜しいことだ

長谷寺に参る宿泊地

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

かつて海柘榴市は、長谷寺に参る際の入り口、宿泊地としての役割も果たした。『枕草子』では清少納言が長谷寺を参るときに海柘榴市を訪れる。

海石榴市、大和にあまたあるなかに、長谷にまうづる人のかならずそこに泊るは、観音の縁のあるにやと、心異なり。(第十一段「市は」)

海柘榴市(つばいち)— 古代日本の交易と文化の交差点

当時は海柘榴市の他に「辰の市」「里の市」もあったようで、「観音の縁のあるにやと、心ことなり」と、「観音さまのご縁があると思うと、格別な感じがする」と記している。清少納言は長谷寺へのお供物を海柘榴市で買ったようだ。

『枕草子』の前に書かれた藤原道綱母『蜻蛉日記』にも、「けふも寺めく所に泊りて、又の日は椿市といふ所に泊る」と、宿泊地としての役割が登場する。

同じく平安時代の『源氏物語』玉鬘巻でも、海柘榴市が登場する。

からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。

玉鬘(たまかずら)が長谷寺に参るときも海柘榴市に宿泊する。

現代の海柘榴市のイベント

地蔵盆

海柘榴市では毎年8月23日に地蔵盆を行う。

地蔵盆

地蔵盆は、近畿地方を中心に行われる、子どもたちの健やかな成長を願うお祭り。地蔵菩薩の縁日である8月24日を中心に行われるが、海柘榴市は8月23日だけ行う。お地蔵様の周りに提灯を飾って飾り付け、子どもがお参りにお菓子を配る。

かつては夜間も灯りがともされていたが、現在は高齢化が進み、管理する人が減ったので、時間は短縮されている。

三輪まちなか「つば市」

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海柘榴市の精神を受け継ぎながら、三輪まちなか「つば市」は11月に開催される。地域の住民や商店主、そして外部からの出店者までが集まり、手作りの作品や温かい食べ物、体験型のブースなどが並ぶ。その多彩さが、人を引き寄せる理由。三輪という土地の魅力を見つめ直し、そして外へと届ける場でもある。まち歩きが自然と楽しくなるような構成も心憎い。

会場は三輪惠比須神社を中心に、三輪公園、コワーキングLAB38、JR三輪駅へと続く参道沿いに広がっていく。歴史を刻んだ建物や古い街並みの風情を背景に市が立つことで、買い物だけでなく散策そのものが特別な時間へと変わる。古代から続く歴史文化に、現代の交流がそっと重なる場所。その役割を、この市は確かに担っている。

加えて、学生たちも積極的に参加しており、世代の垣根を越えて協働が生まれている。人の輪が少しずつ広がり、笑顔が行き交う。その温かさこそが、この市がめざす姿なのだ。

吉方庵の銘菓「つばいち」

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桜井が誇る和菓子メーカー「吉方庵(きっぽうあん)」が、最中に「つばいち」を刻字し、現代に蘇らせてくれている。白地に黒と金の文字で「海柘榴市」と染められた包み。筆の流れがそのまま古代の風を運び、遥か昔、市人が行き交った日本最古の市・海柘榴市(つばいち)を思わせる。

【コラム】風の残響を聴きに

海柘榴市の現在の姿

大和の空気は、どこか乾いているようでいて、しっとりとした湿り気を帯びている。東京を出て、新幹線と近鉄電車を乗り継ぎ、桜井駅から山辺の道を歩くと、目の前に広がるのは穏やかな田園風景だ。

海柘榴市の現在の姿

市場と聞いて想像するのは、雑踏と活気、天秤棒を担いだ商人たちの賑わい。今の海柘榴市には、それらの名残はない。金屋の集落を歩くと、ほどなくして「海柘榴市観音」の案内板が見えてくる。そこには確かに何かがあったはずなのに、今はただ静かな時間が流れるばかり。

かつて海柘榴市を行き交った人々の姿を想う。荷を背負った旅人、馬に乗る貴族、布を広げて値を交渉する商人、巫女のような出で立ちの占い師。千年以上前、この場所には、賑やかなざわめきがあった。

今はただ風が吹き抜けるばかり。はしだのりひことシューベルツ『風』が聴こえてくる。

市場は消えても、土地に染み込んだ記憶は、ふとした瞬間に立ち上る。旅とは、見えないものを感じ取る時間でもある。

風の残響・海柘榴市〜日本最古の市場と万葉の面影を追って

かつて賑わいに満ちた海柘榴市。その歴史の濁流に耳をすませば、見えない市場の喧騒が響く。同時に、誰かの想い、 自分の本当の気持ちを見えてくる。

大和の風は、静かに過去を語る。そして旅人は、それを感じるために、今日も海柘榴市に足を運ぶ。

海柘榴市までのアクセス

海柘榴市までは、桜井駅下車(JR桜井線/近鉄大阪線)し、南口から徒歩で約15分。

海柘榴市(つばいち)— 古代日本の交易と文化の交差点

駅前から南へ進み、国道165号線を渡って南西方向へ。初瀬川沿いを下ると「海柘榴市跡」碑がある金屋河川敷に着く。

海柘榴市の現在の姿

近隣に駐車場はほとんどないため、公共交通機関を利用するのが安心。

大和の山々

大和の寺院

日本最古の宮都

大和・桜井を流れる初瀬川

新年に響く大和の鐘

神の山への祈り

狛犬の憶い出

日本最古の神社

あすかびとへの道

奈良盆地(大和平野)の郷愁

大和の詠

長谷寺の門前にある日本一の草もち

桜井のふるさと自慢

桜井のイベント

桜井の焼肉は「こよい」へ

桜井の冠婚葬祭

日本一のちゃんこ鍋

桜井が生んだ至高の割烹

大和の名湯