大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

喜多美術館〜奈良・金屋のまほろば、大和の木々に抱かれ、芸術と出逢う

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実家から歩いて2分48秒、カップラーメンができる前にゴッホやピカソに逢える。ルノワールや藤田嗣治、佐伯祐三、アンディ・ウォーホルまで。

そんな贅沢が、故郷にある。名は「喜多美術館」。人口1405人の小さな集落に、世界の美術が静かに根を下ろしている。

喜多美術館の場所

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喜多美術館は、奈良県桜井市金屋(かなや)に佇む私設美術館。日本最古の道「山の辺の道」の出発点である「金屋の石仏」の前にある。

桜が見頃の金屋の石仏

金屋は仏教が伝来した地であり、美術館の隣には、日本最初の政権であるヤマト王権の発祥の地・磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)や、日本最古の神社である大神(おおみわ)神社など、数メートル歩けば、そこには無数の歴史が息づいている。

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喜多美術館は、その古層の上に、薄い紙一枚のようにそっと置かれている。景観を壊さず、建物は低く、声も低い。来るたびに自分の足音に耳を澄ませる。大和の木々に抱かれて、芸術と出逢える場所である。

開館の歴史と沿革

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喜多美術館が開館したのは1988年(昭和63年)の4月。僕がまだ4歳の頃のこと。それまでは、広い池のある立派な屋敷があり、鮮やかな錦鯉が泳いでいた。

美術館を建てたのは、大正生まれの創設者・喜多才治郎さん。還暦を迎えるタイミングで、長年収集してきた美術品を展示する館を建てた。

喜多家は金屋で300年も続く庄屋の家柄。しかし才治郎さんは病弱で仕事に就くことができず、人付き合いも得意ではなかった。いつも家にいたので、一人で芸術の世界にのめり込む。

近所では「ドケチ」と評判になるほどお金には厳しく、絵の収集だけに惜しみなく財を投じた。その買い付け先は、ニューヨークのサザビーズやロンドンのクリスティーズといった、世界最高峰のオークション。

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美術館設立のきっかけは、大事に集めた絵にカビが生えてしまったこと。そこで「このままではいけない、公開して守ろう」という話が持ち上がった。そして、もう一つの理由を、現在の館長は教えてくれた。才治郎さんが亡くなれば、絵画には莫大な相続税がかかってしまう。だが財団法人を設立して寄贈という形にすれば税は免れる。

美術館を建てることは「絵を守る」ためであると同時に「家を守る」ための決断でもあった。当初は奈良市内に建てたかったが、病弱だった才治郎さんは自分が通える金屋の敷地内に館を建てることにした。

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才治郎さんは2005年に亡くなり、今は息子さんがその後を継いでいる。もともと美術に特別な興味はなく、金屋で「喜多石油」というガソリンスタンドを経営していた方だ。僕はご子息と小学校が同じで幼い頃から顔見知りであり、家の車のガソリンはいつも喜多石油で入れていた。当時はどちらかといえば寡黙で社交的とは言えなかったが、今では来館者一人ひとりに丁寧に作品の解説をしてくれる、すっかり話好きの館長になった。

大晦日の年を越す喜多美術館

僕自身も開館から美術館の前を何度も通りながら、絵に本格的に興味を持ったのはごく最近のこと。初めて訪れたのは、才治郎さんが亡くなったあと。今となっては、ゴッホやピカソ、藤田嗣治の絵について、夜を徹してでも語り合いたかった。あれほど絵に情熱を注いだ人だから、何時間でも話が弾んだだろう。

外観

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喜多美術館の外観は、町の資料館のような素朴な佇まいをしている。左手に低い平屋、正面には倉のような建物。どちらも主張しない。周りの森に合わせて息をひそめている。大神神社の砂利道のような、空白のカンヴァスの地面が占める。

喜多美術館

朝は小鳥の声が敷地の隅々まで行き渡り、春は桜で囲まれ、夏は蝉が鳴き、秋は紅葉に彩られる。冬、雪が降ると一面が吸いこまれるように静まり、荘厳な世界へと変貌する。

野外彫刻

フェルナンデス・アルマン

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喜多美術館の門をくぐると、広々とした砂利道の庭に、フランスの彫刻家フェルナンデス・アルマンのブロンズ像が5体、出迎えてくれる。どれも少しずつ違う顔をして、風の方角に身をゆだねている。

フェルナンデス・アルマン《ヴァイオリン》1981年

フェルナンデス・アルマンの《ヴァイオリン》(1981年)は、本物の楽器を分解して再構成することで音楽のエネルギーを形にしたブロンズ像。断片化されたパーツが重なり合い、強いリズム感を生み出している。使い込まれた楽器の記憶を宿すように、物質としての重みと生命感が同居している。音のない彫刻でありながら、かえって豊かな響きを想像させる。

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現在は錆びついて、近所の人から不気味がられているが、これは作家が望んだ時間の色。才治郎さんがニューヨークで購入した際、アルマンから2つ条件を付けられた。

  • 必ず屋外に展示すること
  • 雨風で色褪せても修復しないこと

喜多美術館

人の命と同じように、自然の中であるがままに芸術品も生きて欲しいということから、修復をせず屋外で風雪に耐えながら客人を出迎えている。その錆はむしろ、音楽の残響のようだ。金屋の地と一緒に、歴史を奏でてくれる。

館内

白髪一雄、イサム・ノグチ、キリコ

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喜多美術館の入口では、金色に輝くロゴマークが迎えてくれる。プレートに抜き文字で「KT」と配され、直線的なK・Tと、柔らかな手書き風のaiのバランスが、格式と親しみを絶妙に兼ね備えている。ワイヤーガラスの格子模様とロゴの直線が呼応し、現代的でミニマルな印象を一層強めるデザインだ。

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館内に足を踏み入れ、スリッパに履き替えて入館料を払おうとすると、あっと驚く。

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受付に、白髪一雄の《無題》(1961年)が、日常の延長のようにさりげなく掛けられている。白髪一雄は、天井から吊るしたロープにつかまりながら足を滑らせて描く技法「アクション・ペインティング」の画家。日本で唯一無二のアーティストである。

白髪一雄《無題》1961年,油彩、カンヴァス、64×84cm

鮮烈な赤と群青がぶつかり合い「ただならぬ場所に来た」という期待感を煽る。激しい筆致は、感情やエネルギーをむき出しにし、美術館の空気を一気に引き締める。

「ここでは常識にとらわれない自由な表現に出逢える」

そんな無言のメッセージが伝わってくる。

喜多美術館は撮影禁止だが、今回、ブログに掲載する許可をもらって写真を撮らせてもらえた。

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白髪一雄の絵画から振り返れば、窓際の隅にイサム・ノグチの《青と黒》が控えている。世界的なアーティストが、窓辺の静かな住人のように佇む。入口に立った瞬間に「ここは感性を揺さぶる場所だ」と直感させる、力強い導入だ。

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さらに常設展示室へ続く廊下に目をやれば、そこにはジョルジョ・デ・キリコの絵画が待っている。キリコは1910年代から「イタリア広場」シリーズを生涯にわたり何百枚も描いた。その系譜に連なる一枚が、ここ金屋に飾られている。

ジョルジョ・デ・キリコ《イタリア広場》1950年,油彩,カンヴァス,40×50cm

深く遠い緑。ペタッとした平面の質感なのに郷愁がある。地平線より地平がある。最も愛おしいのは、ただの四角い木箱。陰日向に咲く小さな花の味わいを添え、土地に根差した喜多美術館にふさわしい。廊下にこの一枚を掛ける贅沢さに、思わず息をのむ。

常設展示室:第1展示

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最初の常設展示室は、19世紀を代表する画家の西洋画、日本画が並ぶ。白い壁と広々とした空間の清潔さにより、絵画と彫刻の距離感がゆったりと保たれ、一点一点と静かに向き合える。中央に立体作品が置かれることで、平面と立体が響き合い、展示室にリズムと奥行きが生まれている。

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ルノワールの《母と子》の彫刻が鎮座。母が子を抱く姿は慈愛と生命の象徴であり、壁面に並ぶ絵画たちをつなぐ心の支点となっている。

ゴッホ

ゴッホ《網干し場》
  • 制作:1882年
  • 寸法:28.5×45cm
  • 技法:鉛筆・ペン・白の絵の具

ゴッホが画家を志して2、3年目の初期作。今オークションに出せば、億はくだらない。

人気のない日常風景。小屋や樽の質感が細やかに表現され、暮らしの匂いまで伝わってくる。雲の白いハイライトが生命を吹き込み、静けさの中に動きを与えている。人々の生活の温もりを見つめるゴッホの眼差しが伝わる一枚だ。

ルノワール

ルノワール《ティーポット》
  • 制作:1880〜1890年
  • 寸法:20.5×16.5cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

柔らかな筆致で描かれたティーポットに、ルノワールらしい温かさが漂っている。白地に青い模様がふんわりと溶け込み、光の反射がやさしい。背景の布のうねりが、器の丸みを引き立て、日常の何気ない器物を、親密で豊かな詩情へと昇華させている。

モーリス・ユトリロ

モーリス・ユトリロ《コンペニューの兵舎》
  • 制作:1914年
  • 寸法:80×65cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

ユトリロの「白の時代」に描かれた一枚。重厚な建物と堅牢な鉄柵が、厳粛な空気を漂わせ、曇天の空とフランス国旗が対比し、歴史的な緊張感を象徴している。静かな構図の中に、国家や権力の重みを感じさせる迫力が宿っており、ユトリロの柔らかい絵とは対極にある。

ポール・シニャック

ポール・シニャック《海戦》
  • 制作:1915年
  • 寸法:18×28cm
  • 技法:水彩、紙

点描画の技法を完成させたフランスの画家ポール・シニャックが描いた第一次世界大戦の報道画。

黒と灰色の濃淡だけで、戦場の緊迫感を描き出し、煙と炎に包まれた軍艦が、荒々しい水面に沈み込みそうに迫ってくる。細部の描写よりも勢いのある筆致が、混乱と恐怖を一層強調している。色彩を排したことで、戦争の凄惨さと虚無感がより鋭く伝わる。

ジョルジュ・ルオー

ジョルジュ・ルオー《二人のクラウン》
  • 制作:不明
  • 寸法:19×27cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

道化師の絵を多く描いたフランスの画家ジョルジュ・ルオーの油彩画。太い輪郭と力強い色使いが、道化師たちの生命力を感じさせる。向かい合う二人の姿は、互いを支え合う仲間のように温かい。緑や赤の色彩は舞台の幕間を思わせ、どんな時も笑いや希望を運ぶ存在として輝いている。

ジョルジュ・ブラック

ジョルジュ・ブラック《人物と花瓶》
  • 制作:不明
  • 寸法:38×30cm
  • 技法:水彩、紙

ピカソの親友で、共にキュビズムを描いたフランスの画家ジョルジュ・ブラックの静物画。音符のようなモチーフに人間の横顔が重なり、抽象と具象が響き合う。余白を大胆に残すことで、形の力がいっそう際立ち、最小限の色と線で、音楽と人間の生命感を同時に表現している。

フェルナン・レジェ

フェルナン・レジェ《緑の木》
  • 制作:1931年
  • 寸法:27×46cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

ピカソに比肩するキュビズムの画家フェルナン・レジェの油彩画。
直線や円の形がリズミカルに重なり、音楽のように響く。機械と人間、自然と人工が共鳴し合う独特の調和が、ファンタジックな世界を想像している。

パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソ《顔》
  • 制作:1967年
  • 寸法:31×22.5cm
  • 技法:油彩、ガッシュ、カラークレヨン

86歳前後のピカソが描いた人物画。鼻は岩のようにごつごつし、口元は笑っているのか怯えているのか判別できない。写実の美しさなんてどこ吹く風、ピカソは顔を「爆発させて」人間の本能だけを残した。「おい、お前は何を見に来た?」と問いかけてくるように迫ってくる。

佐伯祐三

佐伯祐三《食料品店》
  • 制作:1925年
  • 寸法:65.0×80.7cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

喜多美術館の創設者の喜多才治郎さんが最初に購入した絵画。日本のゴッホと呼ばれた佐伯祐三の風景画。曇天の重たい空気に、モンマルトルの哀愁と歴史の厚みがにじむ。窓や壁には生活の痕跡が残り、人の気配をさりげなく伝えている。陰鬱さの中にある温もりが、この街を「生きている風景」として輝かせている。

藤田嗣治

藤田嗣治《猫》
  • 制作:1941年
  • 寸法:25×34cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

藤田嗣治は猫を愛し、何枚も絵を描いた。猫は異邦人。猫は自由気まま。媚びず、独立心が強い。自分自身を重ねた違いない。

この絵の猫は、背中の丸みとお腹のくびれがアンバランスに交差し、不思議なリズムをつくっている。ダンスの一瞬を切り取ったような、優雅さとユーモラスさが同居するポーズ。猫という存在の自由さと気まぐれさを、線と形だけで鮮やかに語っている。

藤田嗣治《青いドレスの少女》
  • 制作:不明
  • 寸法:33×24cm
  • 技法:水彩

制作年は不明だが、レオナール・フジタに改名した晩年の気配がある。ドレスの淡い青は、青春の始まりか、それとも青春の黄昏か。

少女の大きな瞳は、「あなたを見抜いているわ」とでも言いたげ。青緑のドレスは舞台衣装のようにきらめき、彼女は小さなプリマドンナにも見える。幼さが残る顔立ちに、不思議と大人びた影が差していて、そのギャップがゾクッとする。少女という存在の「無垢と魔性」を同時に閉じ込めた一枚だ。

棟方志功

棟方志功《魚》
  • 制作:1948年
  • 寸法:35.5×46cm
  • 技法:油彩、板

版画で有名な棟方志功。ウチの実家の三輪そうめんを、毎年、送って食べてもらっていた。

泥の中を必死に生き延びた痕跡が、鱗の一枚一枚に刻まれている。絵の具がぶつかり合うような筆致は、生臭さやぬめりまでも想像させる。人の食卓にのる前の“闘った魚”の姿、泥と汗と血を混ぜたような迫力に、命の生々しさがむき出しになっている。

安井曽太郎

安井曽太郎《裸婦》
  • 制作:1931年
  • 寸法:73×60.5cm
  • 技法:油彩、カンヴァス

顔は少女のように無垢なのに、体つきはすでに大人の女。「私を味見してみて」と堂々たるポーズが挑発している。後ろの木箱や布切れ、石膏像は舞台の小道具で、ほぼ無意味なところが、逆に裸体の生々しさを引き立てる。

常設展示室:第2展示

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第2展示室は20世紀のポップアートをはじめ、近代芸術の作品を展示。

白い壁と天井の照明が作品を均等に照らし、余計な陰影を作らないため、絵画や立体作品の色彩や質感がそのまま引き立つ。

中央に置かれたアンディ・ウォーホルの作品が、壁面に並ぶ作品群と呼応し、平面と立体のバランスを生んでいる。モダンで洗練された雰囲気の中に、作品それぞれの個性が際立ち、静かに作品と向き合える落ち着いた展示空間になっている。

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホル《Heinz Tomato Boxes》
  • 制作:1964年
  • 技法:木の箱にシルクスクリーン

喜多美術館の目玉。この木箱が今では、1個6500万円の価値がある。昔は近所の小学生が普通に座っていたが、壊れてはいけないので、現在はガラスケースで防御している。

8つの木箱の文字は、ひとつとして同じものがない。書体が微妙に違ったり、文字がカスれていたりする。

それまで芸術は、手作業で生み出される一点ものに価値があるとされてきた。しかし、大量生産されるものも、どれも一つとして同じものがない。この作品はSMAPの『世界に一つだけの花』であり、サン=テグジュペリの『星の王子さま』なのだ。

ウォーホルは、「唯一無二」ではなく「ありふれた繰り返し」にも美があると突きつけた。そこが素晴らしい。

提案がある。喜多美術館から歩いて5分の場所に、僕の母校・三輪小学校がある。

美術の授業として、喜多美術館を見学し、その後「スーパーにある大量生産のもの」を使って作品をつくるのはどうだろう。

子どもたちはウォーホルと同じように、日常にありふれたものを芸術に変える体験ができる。「人にはアートに変える力がある」ということを学べるはずだ。

ジャスパー・ジョーンズ

ジャスパー・ジョーンズ《ターゲット》
  • 制作:1979年

的が「当ててみろよ」と挑発するくせに、同時に「本当に狙うべきはどこ?」と迷わせる。色の境い目が微妙に滲んで、完璧な円というより使い込まれた標的が生々しい。それでいてポップ。射的場と美術館を一枚の中に同居させた反則技。

視線は真ん中へ一直線、心は周回コースをグルグル。DJのターンテーブルみたいに回り出し、気づけば自分の「ど真ん中」って何だっけ?と考え始める。ゲームのボードに見えて、実は思考のトラック。命中したのは的じゃなくて、こっちの脳内だ。一発勝負のようでいて、永遠に続く延長戦。

サム・フランシス

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  • 制作:1979年
  • 寸法:25.5×81cm
  • 技法:アクリル、紙

赤・黄・青がプールにダイブしてスプラッシュして飛び散る。視線は左から右へ、右から左へ、ノリに任せてラリーを続ける。花火大会のように、上がって、割れて、散って、余韻の煙がふわっと残る。1枚の中で祝祭と余白が同居しているのがニクい。

アート&ランゲージ

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  • 制作:1965年
  • 寸法:1枚 61×31cm
  • 技法:カンヴァスの上に鏡4枚

イギリスで結成されたコンセプチュアル・アートのグループ「アート&ランゲージ」の作品。タイトルは「Untiled Painting(無題)」。同じ鏡が並んでいると思いきや、鏡面の凹凸などがバラバラで前に立つと、違う姿で映る。参加型のエンタメ・アート。

常設展示室:別館

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廊下を渡っていく別館の第3展示室は、古い酒蔵を改造したもの。床が歴史と情緒を醸し出す。ここでは近代絵画や写真などを展示。白い壁と天井の明るい照明に包まれながら、木材の質感が、落ち着きと親しみを与えている。

中央に展示台が配置され、壁面の写真とバランスをとりながら、視線を自然に巡らせることができる。

天井が高く開放感があり、照明が均等に行き渡るため、作品の細部までしっかりと観賞できる。モダンな清潔感と素朴な温もりが共存する空間である。

ゲルハルト・リヒター

ゲルハルト・リヒター《入浴者》
  • 制作:1996年
  • 寸法:65.8×46.6m
  • 技法:写真

ドイツの抽象画家ゲルハルト・リヒターの写真。ボヤけていることで、絵画にも見える。クッキリ映るよりも存在感があり、記憶に残る。覗き見しているようで、過去の記憶を思い出すような作品でもある。

マルセル・デュシャン

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フランスの芸術家マルセル・デュシャンの作品の一部。ヒゲの生えたモナ・リザなど。

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ベルント&ヒラ・ベッシャー

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フィルム・カメラで撮った写真群。どの写真にも影がない。もちろん加工なし。リアルなのに影がないので、不思議な質感を生んでいる。

その他の作品

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週刊プレイボーイのようなグラビアアイドルみたいに、承認欲求120%ではない。挑発もしていない。恥じらう、戸惑う。だから存在感が強い。

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この写真もフィルムで撮ったものであり、セーターの毛糸の質感などは、デジタルカメラでは表現が難しい。

図書室

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絵画に関する資料などを読める図書室にもアート作品が散りばめられている。

ミケランジェロ・ビストレット

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この作品の前に立つと、ギターを弾く裸婦と向かい合って、自分の姿が鏡に映り込む。本来、鑑賞者は作品の世界に入り込むことはできない。しかし、この鏡の仕掛けによって、鑑賞者は「作品の内部にいる存在」として参加することになる。

アートは外から眺める対象なのか、それとも自分を映し返す鏡なのか。この作品は、鑑賞者の存在があって初めて成立する「関係性のアート」である。

企画展示室

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2階建ての新館は企画展示室。白壁と木の梁の素朴な構造が、余計な装飾を排し、展示される作品の存在感を際立たせている。

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吹き抜けとロフトの構造が「見下ろす」「見上げる」という視点の変化を生み、同じ作品でも立ち位置によって違った印象を味わえる。小さな空間ながら、視線や身体の動きが豊かに誘導される、思索的で居心地の良い展示室である。

コラム:世界は玄関を出て角を曲がったところにある

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山の辺の道のはじまり、金屋という名の、風の通り道みたいなところに、喜多美術館がある。実家から歩いて2分48秒、湯を注いだカップ麺がふやける前にゴッホに挨拶できる。

金屋は昔から仏の風が吹く土地で、石仏がどっしり坐り、「みょうじんさん(大神神社)」の参道は砂利がきゅっきゅ鳴り、春は桜がひらひら舞って、秋は風がさらさら通り抜ける。そこへ美術館が、音を立てずに置かれている。建物は低く、声も低く、何も威張らない。けど中身はどうだ。ニューヨークやロンドンから連れて来たアートが、胸に落ちるように並ぶ。

創設者の喜多才治郎さんは、絵の沼にずぶずぶ沈み、財布はぎゅっと締め、絵のためにぱっと開く。その徹底ぶり。ほんまに守りたいものがある者は、ほかを惜しむ。結果、金屋に世界が根を下ろした。絵にカビが出た、ならば守るために公開する、相続のことも考える、家も絵も残す、その知恵と勇気の見事さ。

門をくぐれば、アルマンのブロンズが錆びて立つ。雨ざらし上等。音楽の残響みたいに茶色が深まって、金屋の空気と一緒に年を取る。作品が年を取る、僕も年を取る、村も年を取る、なんか素敵やん。大都会の白い箱では出えへん、土地の温度が作品を包む。

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金屋というふるさとに喜多美術館がある、というだけで、日常の窮屈は少しだけほどける。玄関を出たら、世界が待っている。世界は遠くにあるようで、案外、家の角を曲がった先にある。そんな世界をつくってくれたのが、才治郎さんで、いまの館長で、金屋の風である。

喜多美術館の情報

  • 名称:公益財団法人 喜多美術館
  • 開館:1988年(昭和63年)4月
  • 住所: 奈良県桜井市 金屋730
  • 撮影:不可(記事は許可をもらって撮影)
  • 開館時間:10:00~17:00
  • 休館日:月曜日、木曜日、展示替え・夏休み・年末年始
  • 入館料:大人800円、大学生・高校生700円、中学生・小学生200円
  • アクセス:JR三輪駅から徒歩約7分、近鉄桜井駅から徒歩約15分

桜井市金屋の名勝

奈良のまほろば美術館

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