大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

大伴皇女墓〜聖徳太子の叔母、忍阪に伝わる終末期古墳

大伴皇女墓

奈良県桜井市忍阪(おっさか)の谷を奥へと分け入ると、山に抱かれた静かな窪地が開ける。段ノ塚古墳(舒明天皇陵)の制札の右奥に続く山道を上がっていくと、途中に鏡王女墓がひっそりと現れる。さらに奥、森の縁に寄り添うように佇むのが大伴皇女墓(おおとものひめみこ)である。

大伴皇女墓

大伴皇女は欽明天皇と堅塩媛(蘇我稲目の娘)の皇女で、古事記には「大伴王」と記されている。兄弟には推古天皇、用明天皇が並び、聖徳太子にとっては叔母にあたる人物だ。平安時代に編纂された『延喜式』には「大伴皇女押坂内墓」と記され、現在は宮内庁の管理下に置かれている陵墓である。

大伴皇女墓

参道を進むと、苔むした石畳がまっすぐ拝所へ延びる。両側には竹林と杉林が立ち並び、森が深く呼吸するような静けさが漂う。参道の先には小さな鳥居と案内板、そして簡素だが端正な柵があり、古墳の姿はその奥に隠れている。

大伴皇女墓

拝所からは古墳の形を視認しづらいが、周囲を一周すると、緩やかに盛り上がる円墳の高まりが感じ取れる。径はおよそ15メートル、高さは3メートルほど。三方を山に囲まれた地勢に築かれており、終末期古墳の特徴を備えている。大正年間に測量調査が行われた記録は残るが、墳丘内部は未調査で、その実態には謎が多い。戦前の書物『磯城』には、わずかながら「奥室をもつ古墳として伝承される」との記述があり、好奇心をそそられる。

大伴皇女墓

陵墓の前に立つと、犬養孝が『万葉とともに』で書き残した情景が、今もそのまま目の前に広がっている。

谷の向こうには畑と草地が広がり、山の稜線がやわらかく重なる。鳥のさえずりと、微かに揺れる葉の音だけが響き、千三百年の時が澱みのように積もっている。

大伴皇女墓

このあたりは鏡王女墓、段ノ塚古墳と併せて巡ると、忍阪という地の奥行きがより深く体に染み込んでくる。歴史が静かに折り重なり、風景の中に万葉の息遣いが溶け込んでいる。山に包まれたこの小さな円墳には、言葉にしづらい気配がある。木々の影が揺れ、山風が通り抜けるたび、古代の声がふっと甦るような場所である。