大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

桜井市上之宮・春日神社〜聖徳太子の風が吹く場所

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桜井の上之宮に入ると、風が一段深くなる。等彌神社、安倍文殊院、聖林寺。濃い“気”を放つ古刹に囲まれた一角で、集落の鎮守がひっそり息をひそめている。名は春日神社。全国に三千を超える“春日”のうち、桜井だけでも5社はある。その一社が、上之宮遺跡のそばで、足音を吸い込む。

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鳥居をくぐると、奥に歌が立つ。

「家にあらば 妹が手まかむ 草枕/旅に臥やせる この旅人あはれ」

聖徳太子の歌碑。ここ桜井市上之宮が聖徳太子の暮らした土地であることを、最初に知らせるのはこの石だ。

南に目をやれば、畑地の向こうが「上宮寺(じょうぐうじ)跡」。この神社に隣り合う、太子ゆかりの寺の古址である。『日本書紀』にはこうある。

「是の皇子、初め上宮に居しき。後に斑鳩に移りたまふ」。

父・用明天皇の宮の南に設けられた“上宮”に、少年の太子は住んだ。江戸の『大和名所図会』は、「上宮太子の住み給ひし所なり、其後寺となし、上宮寺と号す」と書き残す。上之宮遺跡が発掘される前、この神社周辺こそ太子の上宮だという説すらあった。いまは遺跡へ比重が移ったが、伝承が土地に降り積もる感じは変わらない。

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社の由緒は二つの川が合わさるようにできている。もとは地主神「磐船大明神」と呼ばれ、饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀った。山の神気が素朴に立ちのぼる古い形だ。そののち、奈良・春日大社から四柱が招かれ、合祀されて春日神社となる。

春日四神、剣の神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)、ともに国造りをおこなった経津主命(ふつぬしのみこと)、祭祀と言の葉を司る藤原氏の祖神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)、女性の神様・比売神(ひめがみ)。

氏神として藤原氏を支え、平城京鎮護の力を担った面々だ。ここでは、武の守りも、知恵の導きも、安産や家内安全も、四方から届く。

手水舎に寄る。龍ではない。吐水口は亀だ。万年の象徴は、ここでは清めの水を絶やさない。長く続くものが、静かにここを支えていると知れる。参道の奥に、石造宝塔がひとつ。南北朝期、十四世紀の仕事だという。近隣の宝塔と意匠が響き合い、この地域の文化の底力を語る。石の面に触れると、冷たさの裏から粒立つ時間が手のひらにのぼる。

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社殿の前に立つ。上之宮という地名が、太子の“上宮”を今も右手に引き連れて歩いている。春日は春日で、山の地主神は地主神で、それぞれの筋の祈りが一本に束ねられている。多様でいて、濁らない。そういう神社だ。

桜井の春日神社の順路は自然にできる。太子の歌碑に頭を垂れ、上宮寺跡に目をやり、亀の水で手を冷やし、宝塔に触れてから、四柱に向き合う。

歩いた距離より、重ねた層が深くなる。寺社の密度が高い桜井地区の中で、この一社は“重ねる”ことの意味を静かに教える。

まとめて言うなら、ここは二つの系譜が出会う場所だ。饒速日の古層と、春日四神の都の層。さらに太子の生活の層が重なる。歴史が交差する点は、ときに喧しいが、この社は違う。足音を吸い、風だけを通す。そういう鎮守である。

 

桜井市にある春日神社