
奈良県桜井市金屋(かなや)に、事比良(ことひら)神社という小さな社がある。日本最古の神社とされる大神神社の末社だ。末社(まっしゃ)とは、本社の祭神や由緒と深い縁を持つ神を祀る神社を指す。

その名が示す通り、事比良神社は香川県の金刀比羅宮(こんぴらさん)を勧請したものだ。金刀比羅宮には大物主神と崇徳天皇が祀られ、航海安全をはじめ、農業、商売繁盛、交通安全と、あらゆる願いを受け止める御神徳で知られてきた。

江戸時代、「こんぴら参り」は庶民の憧れの旅となった。その人気は高まり、やがて全国に琴平神社や金毘羅神社が次々と建立される。桜井の町にもその余波は届き、八坂神社の境内にある金比羅社、桜井市桜井の住宅街にひっそりと立つ琴平神社、若宮社・大直禰子神社の境内にある「琴平社」、そして三輪坐恵比須神社の摂社「琴比羅神社」など、数多の表記が残された。その中で「事比良神社」と記すのは、この一社だけ。稲荷社と並び立ち、春日造の本殿を備えるが、創建の年代は誰にもわからない。
祭神

祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。三輪山に宿り、時に白蛇の姿で現れる神だ。国造りの神としても知られ、五穀豊穣、酒造繁栄、商売繁盛、縁結び、病気平癒と、御利益は尽きることがない。とりわけ「酒の神」として名高く、今も全国の杜氏や酒蔵が、その加護を求めて祈りを捧げている。

隣にある稲荷社の祭神は宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)。稲荷神社の主祭神として名高く、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全をもたらす「お稲荷さん」として人々に親しまれてきた。例祭は9月10日。

社の前には「金比羅」と「太神宮」と刻まれた石灯籠が立っている。これらは金屋出身の関取が寄進したものと伝わる。

「太神宮」とは、伊勢神宮の古い呼び名だ。
事比良神社の場所

事比良神社へと至る道は、地元の者でさえ迷うほどに分かりにくい。金屋の集落から三輪山へ分け入る山裾にあり、目印もない。

ただ一本の道を右に折れると、民家がひらけ、やがて花畑が目に飛び込んでくる。

夏から秋にかけて咲くジニア(百日草)が、鮮やかな彩りで道行く者の心を和ませる。

やがてジグザグに折れた階段が姿を現す。ひと足、またひと足と登る。

さらに進むと、囲いもなく本殿がひっそりと佇んでいる。

石灯籠と簡素な本殿。

その姿には大神神社の末社としての格式よりも、むしろ近隣の人々の手が静かに守ってきた日常の気配が濃く漂っている。

見晴らしは決してよくはない。それでも境内に立つと、木々の隙間から桜井の町並みがかすかに見える。そこには、山裾に息づく社の素朴な祈りと、長い年月を生き延びてきた信仰の根の深さが、ひっそりと沁み込んでいる。

事比良神社の山道を進むと、「てんのはん」と呼ばれる八阪神社の境内へと通じている。合わせて訪れてもらいたい。
ひとりの参列者―事比良社、年に一度の朝
2026年9月10日。朝から晴れていた。その日、事比良社の例祭へ行く予定はなかった。
朝、母とイオンへ行った。パスタを作るための材料を買い、帰りに山辺の道を通った。その途中、事比良社の近くで、祭りの支度をしている神職さんの姿が目に入った。
そこで思い出した。今日は9月10日だった。
事比良社の例祭は、1年に1度、この日に行われる。時計を見ると、まだ10時前だった。家へ戻り、そのまま社へ向かった。
事比良社は、金屋の山裾にある。集落から細い道を入り、石段を上がったところに、小さな社が2つ並んでいる。普段は人影がほとんどない。木々の奥に社殿があり、石灯籠がひとつ立っている。少し離れれば、そこに神社があることすらわからなくなる。
その小さな社で、祭りの準備が進んでいた。
僕の姿に気づいた祭主の方は、少し驚いたあと、嬉しそうに言った。
「1人でも参列者の方がいらっしゃるのは嬉しいんです。どうぞ、こちらへお願いします」
参列者の名前は、祭典の書類に記録するという。「参列者なし」と記すのは、やはり寂しいのだそうだ。その言葉を聞いて、偶然ここへ来たことが、少しだけ違う意味を持った。
ただし、ひとつだけお願いされた。写真は撮らないでほしい、と。
大神神社で行われる大きな祭典のように、広く知ってもらうことに意味のある祭りもある。一方で、集落の中で、地元の人だけによって静かに守られてきた祭りもある。
事比良社の例祭は、後者だった。
理由のひとつは防犯である。祭りの情報をSNSに載せれば、訪れるのが善意の人ばかりとは限らない。人の少ない村の小社の場合、むしろ存在を広く知らせることで、犯罪を呼び込んでしまうことがある。以前、群馬県のある神社では、地元の例祭をSNSで紹介した直後、賽銭泥棒の被害に遭ったことがあったという。
賽銭箱は数万円以上する。壊されてしまえば、中の賽銭を盗まれるより損害が大きい。そのため神社によっては、賽銭箱を壊されないよう、あえて鍵を掛けていないところさえあるそうだ。神社を紹介することは、いつでも善意になるわけではない。
知らせることと、守ること。その2つは、ときに反対方向を向く。だから、この日の祭りは写真に残さなかった。記憶だけに残すことにした。
10時になると、例祭が始まった。
大勢の氏子が集まるわけではない。笛や太鼓が鳴り響くわけでもない。
祭主が神前に向かい、祝詞を奏上する。
祝詞は、単に人間側の願い事を神に読み上げるものではない。神様がどのような働きをしてきたのか、その御神徳を讃える「称辞(たたえごと)」が置かれる。
祝詞には、日常会話とは違う独特のリズムと抑揚がある。古い大和言葉を、はっきりと声にして空間へ放つ。
詠むというより、空間に響かされる。その声によって山や森の空気を清め、そこに満ちる神気を目覚めさせる。
続いて玉串拝礼が行われた。榊の小枝に紙垂を付けた「玉串」を神前へ捧げる。これまで何度も神事を見てきたが、自分で玉串を捧げるのは初めてだった。
正式な作法を覚えていなかったので、その場で教えてもらった。
まず、右手で玉串の根元を上から持つ。左手で中ほどを下から支え、胸の高さに構える。左手をやや高くし、少し肘を張る。
そのまま神前へ進み、玉串案の手前で軽く一礼する。
さらに前へ出て、深く一礼。玉串を時計回りに90度回し、葉先を上へ向ける。左手を根元へ持ち替え、心の中で祈る。祈り終えると、さらに時計回りに回して、今度は根元を神の方へ向ける。
両手で静かに台へ置く。一歩下がり、2回深く頭を下げる。右手を少し引いて、2回拍手。最後に、もう1度深く一礼する。
祭りが終わっても、すぐには帰らなかった。祭主の方がおしゃべり好きで、いろいろな話をしてくれた。
事比良社のように屋根のない場所で行う祭典は、雨が降れば実施が難しい。
その場合は大神神社の儀式殿から遥拝するという。そのため、山中の不便な末社へ行かなければならない日には、神職が冗談半分に「雨が降ってくれたら」と思うこともあるらしい。この日は、不思議なことに午前中だけ晴れた。
午後からは天気が崩れる予報。
「神様のお導きですな」
祭主はそう笑った。神様のお導きかどうかは、わからない。たまたま通りかかり、午前中だけ空がもった。そういう偶然を、人は昔から「縁」と呼んできたのだろう。
以前から不思議に思っていたことがあった。
なぜ、事比良社はこんな場所にあるのだろう。金屋の集落の中でも、かなり奥まっている。観光客が偶然通りかかるような場所ではない。
昔、神社を置く場所には「光」が大切だったという。
昼には太陽が差す。夜には月や星の光が届く。そうした場所を選んで神を祀ったのだ、と。
祭主の話は、三輪山の昔へ移った。
今の祭典では、米や魚、果物、御神酒などを神前に供える。しかし昔の三輪山では、松茸が多く採れたという。
大神神社の周辺には摂社や末社が数多くあり、それぞれの地域の人たちが定期的に山を清掃していた。
落ち葉を払い、山を手入れする。すると松茸が出てくる。それを採り、例祭の供物にした。面白いのは、垣内ごとに松茸の出来を競ったことだという。
松茸が少ない地区があると、「お前んとこ、奉仕が足らんのとちゃうか」
そんな冗談を言い合ったらしい。
その結果として山が豊かになり、その恵みを再び神へ返す。その循環の中に、かつての三輪の暮らしがあった。
帰ろうとすると、祭主の方に声を掛けられた。
「ぜひ、来年の9月10日も来てください」
年に1度の祭り。参列者は、たった1人だった。大きな神社の祭典なら、1人増えても何も変わらないだろう。しかし、この日の事比良社では、1人いるか、誰もいないかは大きく違った。
事比良社を下りると、山辺の道にはいつもの時間が戻っていた。
来年の9月10日。それまで覚えていられるだろうか。いや、たぶん覚えている。
玉串を捧げたときの少しぎこちない右手と、誰もいない山の中に響いた祝詞の声を、しばらく忘れることはないだろう。
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