
奈良県桜井市穴師(あなし)の民家の一角に、纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)跡の石碑がひっそりと建っている。細い道沿いに小さな祠と案内板が寄り添い、周囲には果樹園と畑が広がる。静かな農村の風景の中に、かつての王都の記憶が眠っている。

『日本書紀』には、第12代・景行天皇が「纒向日代宮に坐(ま)す」と記され、この地に都を構えたことが伝わる。景行天皇は、前代・垂仁天皇の志を継ぎ、ヤマト王権の拡大をさらに推し進めた天皇である。
景行天皇の時代には、九州から東国までを視野に入れた統治が進められ、のちに英雄として名高い息子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を遠征に送り出したことでも知られている。

この宮は、垂仁天皇の纒向珠城宮(たまきのみや)に続く都であり、ヤマト王権の第三代の宮にあたる。

纒向の地は三輪山の神域を望む信仰の中心であり、政治と祭祀が交わる特別な場所であった。日代(ひしろ)という名には、「陽の光に照らされる地」「日を代々受け継ぐ宮」という意味が込められているとされ、王権の永続を象徴する名でもある。

現在の伝承地は、相撲神社や纒向遺跡にもほど近く、大和の都の連続性を感じさせる位置にある。小さな祠の前に立てば、遠く三輪山の稜線が見え、かつてこの地から国家を見渡した天皇のまなざしを想像することができる。

纒向日代宮伝承からは、景行天皇陵(渋谷向山古墳)を望める。近くには、有名な「大和は国のまほろば」の歌碑がある。

「大和の国は、青々と重なり連なる山々に囲まれた、なんと美しく、すばらしい国であることか」。この和歌は『日本書紀』では景行天皇が詠んだとされる。

穴師の静かな一隅こそ、大和王権が力と信仰を融合させ、古代日本のかたちを整えた場所である。風に揺れる木々の音に耳を澄ませると、遠い時代の祈りの声が今もかすかに響いてくる。
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景行天皇の墓
奈良の遺跡
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