
奈良県桜井市、三輪山の麓。ここで200年以上にわたり三輪そうめんと真摯に向き合ってきた老舗がある。1804年(文化元年)創業の三輪山勝製麺だ。

現在は六代目・山下勝山さんが暖簾を守りながら、「素麺とは何か」「本当に美味しいとはどういうことか」を問い続けている。
山下さんは、紳士服の営業職から家業を継ぎ、30歳で三輪そうめんの世界に飛び込んだ。40代半ばまでは三輪素麺組合に所属し、組合から支給された原料を用いて三輪そうめんを製造していた。そんなある日、京都の料亭「吉兆」のご主人から、ふとこう問いかけられたという。
「そうめんって、美味しいと思ってるか?」
その一言に、山下さんはハッとした。素麺づくりでは、乾燥を促し、麺同士がくっつくのを防ぐために油を使う。しかし、その油は時間の経過とともに酸化し、次第に酸化臭を強めていく。
奈良時代に始まった三輪そうめんに油が使われるようになったのは鎌倉時代以降のことで、それ以前は油を用いていなかった。三輪そうめんは「年数を経るほど旨味が増す」と言われるが、それは鎌倉時代より前の製法による話であり、油を使う現在の素麺は、時間が経つほど酸化臭が強くなる。
山下さんは素麺を根本から見直すため、自らデパートやスーパーの店頭に立ち、お客様の声を拾い集めた。そこで気づいたのは、油の問題だけではない。「細い素麺こそ美徳」という固定観念そのものが、お客様の求めるものとズレているという事実だった。

やがて山下さんは組合を脱会し、グルテンの少ない粉を使う道へと踏み出す。和菓子に用いられる薄力粉と中力粉を独自にブレンドし、さらに吉野葛を合わせた原料を開発した。片栗粉で代用することもできるが、それもまた酸化してしまうという課題があった。
試行錯誤の末、油を塗って麺同士の付着を防ぐという常識を覆し、奈良が誇る吉野葛を“油の代わり”に用いることで、まったく新しい素麺が誕生した。

その名は「一筋縄」。
一筋にこの道を生きるという覚悟を込めて、そう名づけられた。三輪素麺組合には加盟しておらず、原材料や製法も規定とは異なるため「三輪そうめん」のブランド名を名乗ることはできない。それでもなお、「一筋縄」は、大和のそうめんとしての誇りを静かに背負っている。

油の酸化や細さ至上主義といった業界の常識に疑問を投げかけ、吉野葛を用いた独自製法で生まれた素麺「一筋縄」は、いまや三輪そうめんの新しい到達点として語られる存在となった。

グルテンを減らす代わりに使用する水も工夫し、風味と旨味を引き出している。温麺は、味噌汁に入れると美味しい。現在、日本でこれ以上の素麺があるとは考えにくい。それほどの域に達している。

古刹・長谷寺に近い桜井市黒崎にある店は、「食べる」「持ち帰る」。その両方で、三輪そうめんの現在形に触れられる場所だ。

三輪山の空気を写し取ったような、清潔感のある店舗。初めてでも入りやすい佇まい。「創業文化元年」の文字が静かに語る時間の重み。観光地然としない誠実さが印象的である。

食事処では、看板商品「一筋縄」を中心に、冷やし素麺や、にゅうめんが提供される。

個人的には太麺がおすすめだが、まずは定番の細麺の「一筋縄」を味わってほしい。油を使わない製法ゆえの澄んだ小麦の香り、出汁と麺が一体となって滑るように収束していく感覚。これは“軽い食事”としての素麺ではなく、主役としての一膳である。

鮎エキスの入った麺つゆは濃厚だが、一筋縄の細麺は負けない。モッチモチの腰の強さ、小麦の風味が強いので、両方の良さを引き出す。食事というより、口の中でジャズのセッションを堪能している感覚になる。

店内の売り場には、平そうめん、細麺、うどん、詰め合わせ箱などが整然と並ぶ。

自家用にも贈答用にも選びやすく、阪神タイガース・広島カープとコラボしたユニークな商品もあり、土地に根差した遊び心も感じられる。

価格帯は日常使いから贈答用まで幅広く、「三輪の本物を持ち帰る」ための入口として非常に懐が深い。

山下さんが特筆すべきなのは、素麺づくりにとどまらず、日本の麺文化そのものの発展にも力を注いでいる点だ。その象徴的な取り組みのひとつが、日本最古のうどん「春日餺飥(はくたく)うどん」の復活である。
春日餺飥(はくたく)うどんは、平安時代の989年、一条天皇が春日大社へ参詣した際に供されたと伝わる麺料理だ。このとき、麺を打ち、舞いながら振る舞った20人の女性「餺飥女(はくたくめ)」が舞ったとされ、うどんのルーツに位置づけられている。

小麦粉に米粉や山芋粉を混ぜて作られた平たい麺を、醤(ひしお)につけて食べるのが特徴だった。この歴史ある春日餺飥(はくたく)うどんを、現代に甦らせたのが三輪山勝製麺である。
常識を捨てて、誇りを選んだ哲学。三輪そうめんという最古の地で、最も新しいそうめんが生まれたのは大和の誇りである。文化元年創業、令和の到達点、それが三輪山勝製麺である。
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三輪山勝製麺での手延べ素麺体験