
談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市・多武峰(とうのみね)の中腹に抱かれた古社。実在の人物・藤原鎌足を神として祀った、日本最初の「人物神社」とされる。境内には約3000本の楓が広がり、秋には山全体が燃えるような紅葉に包まれる。

1931年(昭和6年)発行の20円紙幣には、祭神・藤原鎌足と談山神社の象徴・十三重塔が描かれていた。古い紙幣の中央にそびえる塔を見つめると、この場所が日本の歴史のなかで、ひっそりと、しかし確かな存在感を放ち続けてきたことがわかる。
春には桜が山に霞をかけ、秋には燃えるような紅葉が社殿の朱と重なる。季節が訪れるたび、ここはため息が漏れるほど静かに、鮮やかに変わる。

一度、秋のライトアップを家族で訪れたことがある。姪や甥、父、祖母も一緒だった。祖母は足が悪く、紅葉の深いところまでは行けなかったが、それでも良い思い出だ。紅葉を“見るか見ないか”ではなく、“みんなでそこへ向かった”という出来事が、今も胸に残っている。談山神社には、そんな記憶の仕舞いどころのような空気がある。
談山神社の歴史

『日本書紀』ではこの山を「多武峰」と記すが、最初は「田身嶺(たむのみね)」と書かれている。
田身の嶺に石垣を巡らし、2本の槻(つき)の巨木のそばに観(たかどの)を建てて両槻宮(なみつきのみや)と名付けた。
ここでいう槻はケヤキのことで神木とされ、観は道教寺院の意味だ。

談山神社は、もともと「寺」から始まった珍しい神社である。創建は678年。起源は「多武峰妙楽寺」という寺院で、明治の神仏分離令によって寺が排され、神社だけが残った。談山神社と名乗るようになったのは明治2年(1869年)のこと。千年以上の歴史の層が、境内の建物や石段の隙間から、静かににじみ出ている。

「談山」という名は、「談(かた)らう山」、つまり“相談する山”に由来する。今でも、中大兄皇子と中臣鎌足が大化改新を語り合ったと伝わる場所に石碑が立ち、山風にさらされながら密談の気配を今に伝えている。
談山神社までの道のり

談山神社は山深い。大神神社の近くにある実家から自転車で飛ばしても、50分ほどかかる。一の鳥居(大鳥居)は、神社からかなり離れた桜井市上之宮に立っており、ここからすでに神域は始まっている。

途中には西内酒造があり、談山神社に奉納されるお神酒「談山」の名を冠した日本酒を、今もこの地で醸している。

県道37号線を南へ下ると、まずデイリーヤマザキが見え、その前に屋形橋が架かるのが道標。

吉野へ向かう旅の途中、本居宣長はこの橋を渡り、「うるはしきある橋あるを渡り、すこしゆきて惣門にいる」と日記に記した。今歩いても、当時の旅の匂いが残る。ここから歩くのが正式な参拝である。

橋を渡れば、ほどなく東大門が見える。別格官幣社とは、国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神として祀る神社。徳川家康を祀る日光東照宮と同じである。

談山神社の祭神は中臣鎌足(のちの藤原鎌足)。本来、この多武峰は高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が祀られていた地であり、水神信仰の名残は、権殿の西側に残る磐座や竜神社に見ることができる。

東大門を抜けると、かつての多武峰街道が続き、桜井市街の等彌神社から山辺の道へとつながっていく。

「下乗」と刻まれた石碑は、この先がかつて女人禁制であり、馬から降りて歩かなければならなかったことを物語っている。
1303年に談山神社への道標として造られた「摩尼輪塔」も今に残り、山奥のこの地が、古くから多くの人に目指されてきたことを静かに示している。

さらに進むと、高さ4メートルの淡海公十三重塔が姿を現す。

鎌足の次男・藤原不比等を祀る塔で、平城遷都や大宝律令で知られる不比等の墓ではないかとも言われる。

近くには、後醍醐天皇寄進と伝わる灯籠も佇む。能楽の世阿弥も、この多武峰で幼少期を過ごしたと伝えられる。

駐車場は5か所あり、神社に近い第5駐車場のみ有料になる。

参道に入ると、多武峰観光ホテルや土産物店が並び、どこか昭和の香りを残したあたたかい空気が漂う。このホテルには、極真空手の合宿でお世話になったこともある。個人的な思い出も、この山の風景と一緒に胸に残っている。

年々、談山神社を訪れる観光客は増えている。日本人だけでなく、外国からの参拝客の姿も目立つようになり、境内ではオリジナルの日本酒など、参拝者向けの新しい商品も増えてきた。

二の鳥居の前に、入山受付がある。ここで600円を納める。昔は入山料など無かった気がするが、いつから始まったのかはわからない。

ここから140段の石段を登っていく。この石段を上り切ると、山の静けさに吸い込まれるように、談山神社の“内側”へ足を踏み入れることになる。この石段は、春と秋の観光シーズン以外は閉鎖されている。

右手には御神木の夫婦杉が立ち、圧倒的な存在感で参拝者を迎える。見上げるだけで、目と心が少し潤う。
談山神社の境内マップ

談山神社の境内は見どころが多く、歴史テーマパークのようだ。桜井の等彌神社のような、鋭く張り詰めた霊気はあまりなく、多くの観光客の賑わいとともに、「よく手入れされた庭」にいるような、居心地のよさがある。
祓戸社

西側の入山口から神幸橋を渡ると、右側に見えるのが祓戸社。

祓戸大神を祀り、参拝前に身と心の穢れを祓う場所である。本来はここで一礼し、手を合わせてから本殿へ向かうのが正式な作法だ。
総社本殿

祓戸社を過ぎて進むと見えてくるのが総社本殿。江戸時代の再建だが、もとは924年の創建。「総社(そうじゃ)」とは、国内各地の神社の祭神を一か所に集めて祀る社のことで、この談山神社の総社は、日本最古とされている。
総社拝殿

寛文八年(1668年)に建てられた総社拝殿は、唐破風が美しい建造物。

中には福禄寿大神の像が安置されている。小さな拝殿だが、どこか柔らかい気配が漂っている。
けまりの庭

末社拝殿の裏側にあるのが、「けまりの庭」。藤原鎌足と中大兄皇子が、飛鳥寺での蹴鞠(けまり)の席で出会ったという故事にちなむ場所。
極真空手の合宿では、毎朝ここで千本突き・千本蹴りの稽古をした。柔らかな土の上に立つと、その感触まで思い出す。毎年11月3日と4月29日には「けまり祭」が行われ、平安時代さながらの装束に身を包んだ人々が、優雅に鞠を蹴る。
神廟拝所

けまりの庭の奥にあるのが神廟拝所。

鎌足の長男・定慧和尚が679年に父の供養のために創建した妙楽寺の講堂で、現存する建物は1668年の再建である。静かな佇まいで、山の空気とよく馴染んでいる。
恋の道

神廟拝所から東殿(恋神社)へ向かう小径は、「恋の道」と呼ばれている。途中には藤棚があり、「結びの藤」として写真スポットにもなっている。木漏れ日と藤棚、赤い玉砂利が重なる風景は、名前にたがわず、どこかやさしい。
摂社・東殿(恋神社)

境内摂社の東殿は、「恋神社」という名で親しまれている。1668年に本殿を移築したもので、御祭神は鏡王女・定慧和尚・藤原不比等。

鏡王女はもともと天智天皇の妃だったが、藤原鎌足が「妻に迎えたい」と願い出て、天智天皇から譲られ、鎌足の正妻になったと伝えられている。

その縁から、恋神社は縁結びの神として信仰を集めている。鏡王女の墓は、現在も桜井市・忍阪(おっさか)に残る。

恋神社の前には、「厄割り石」が置かれている。息を3回吹きかけて厄を映し、陶器を石に打ちつけて割ることで、災いを祓うというもの。カン、と割れる音が、山の静けさに小さく響く。
如意輪観音堂

恋神社のさらに奥に進むと、「如意輪観音堂」がある。談山神社(旧・妙楽寺)の開山である定恵和尚が唐から持ち帰ったと伝えられる観音像を、鎌倉時代末期に再造したものを安置している。

祀られているのは「談峰如意輪観音菩薩坐像」。普段は非公開で、ごく限られた期間だけ特別公開される。
末社・三天稲荷神社

如意輪観音堂のさらに奥には、境内末社の三天稲荷神社がある。

「末社」とは、本社の境内にある小さな神社のことで、本社と血縁のように結びつく「摂社」とは少し性格が異なる。末社には、地域の暮らしや生業を守る神が祀られることが多い。

・宇賀魂命
・菅原道真公
・市杵島姫命
談山神社では、商売繁昌・学業成就、芸能の神様などを祀り、生活に密着した願いが込められている。
東宝庫・西宝庫

本殿の左右にある宝庫。1619年に建てられたもの。

現在、中には何も収められていない。建物自体が美しく、重要文化財となっている。

こちらが西宝庫。檜皮葺の屋根と、ほどよく風化した木肌が、山の空気とよくなじんでいる。
春日社

東宝庫の裏手には小さな春日社もある。桜井には春日社がとにかく多いが、その一つ一つが、土地の人の祈りの足跡でもある。
談山神社拝殿・ 楼門・東西透廊

朱塗りの舞台造拝殿は、1520年の造営。中央の天井は、伽羅の香木で造られている。

折れ曲がるように本殿を囲む東西透廊は、檜皮葺の屋根が美しく連なり、ぐるりと歩くだけで心が落ち着く。

大例祭のとき、一般の参列者はこの拝殿の中から本殿を拝することになる。
談山神社・本殿

大宝元年(701年)創建の本殿では、毎年11月17日、藤原鎌足の命日に大例祭が行われる。聖霊院、多武峯社とも呼ばれる。

現在の本殿は1850年に建て替えられたもので、春日造・朱塗極彩色の豪華な様式。日光東照宮の社殿は、この談山神社本殿を手本にして造営されたと伝えられている。
十三重塔

談山神社といえば、やはり十三重塔。創建は678年。藤原鎌足の長男が父の供養のために建立した。

唐・清涼山宝池院を模したもので、現存する唯一の「木造十三重塔」。高さは約17メートル。一度は戦火で焼失したが、1532年に再建された。

今も御破裂山の麓に凛として立つ。これが談山神社の原点である。
権殿(旧常行堂)

970年創建の権殿(旧常行堂)は、室町時代には能楽の舞台としても使われ、世阿弥もここで舞った。

秋の社宝特別展の会場にもなり、藤原鎌足の肖像など、談山神社ゆかりの品々が展示される。

令和7年には、名宝「太刀 銘 吉平」が特別公開された。大化の改新を思わせる。
末社・比叡神社本殿

談山・御破裂山への登山口の前にあるのが、境内末社の比叡神社。1627年の造営で、明治維新までは山王宮と呼ばれた。

談山神社の真髄を味わうなら、この比叡神社から御破裂山・談山への登山もぜひ忘れずに。塔と山と社を、ひと続きの風景として味わえる。
境内グルメ・かたらいの杜

二の鳥居の脇には、食事処・休憩処「かたらいの杜」がある。
店名は、中臣鎌足と中大兄皇子が大化改新の相談を語らったことにちなむもの。

森に囲まれた小さな建物の中で、ひとときだけ時間の歩みをゆるめることができる。

ぜひ味わってほしいのが、「飛鳥汁と古代米のお結び」(1200円)。多武峰の僧侶が修行を終えたあとに食べたと伝わる食事をイメージして再現したセット。

登山を終えてから口にする飛鳥汁は、じんわりと五臓六腑に染み込んでいく。お母さんの手で握られたような素朴なお結びは、どこか故郷の味がする。そして何気なく置かれているショコラとチーズケーキが、驚くほどに美味しいのもこの店のご愛嬌だ。

紅葉の名所として知られる談山神社だが、歴史と信仰、お酒と食と、山の空気。そのどれもが折り重なって、「また来たい」と思わせる不思議な場所になっている。
「さくらいびと」にとっての談山神社

談山神社を歩いていると、足元に散った紅葉が目に入る。燃えるような赤もあれば、ひっそりと色づいた黄もある。そのどれもが、山の時間の一部であり、桜井という土地が積み重ねてきた歴史の断片のように思える。
談山神社は、桜井というふるさとの文化や記憶が、もっとも濃く立ちのぼる場所だ。
藤原鎌足を祀る十三重塔は、千年以上の時を超えて立ち続け、改革と決断の象徴として山を見守る。境内に続く旧多武峰街道は、かつての旅人が息を整えた道であり、今も昔も変わらず人を山の奥へと導く。恋神社に漂う柔らかな空気、けまりの庭に残る歴史の手触り、そして摂社・末社の一つひとつ。
それらは、桜井の人々の営みと重なり合い、土地の記憶を静かに語り続けている。
この神社の真価は、季節とともに呼吸していることだ。春の霞む桜も、秋の燃える紅葉も、落ち葉の静けさも、すべてが談山神社の“語り部”になる。

境内に散った一枚の紅葉を拾い上げると、なぜか胸が温かくなる。それは、かつて一緒に訪れた家族の気配がふと蘇るからかもしれない。紅葉の色より深い時間が、ここには流れている。
談山神社を訪れるということは、桜井に生きる人間として「自分がどこから来たのか」「この土地が何を大切にしてきたのか」を、そっと確かめ直す行為。
足元の落ち葉が淡く揺れ、山の空気が頬を撫でるとき、この場所がふるさとの“核”であることを思い知らされる。談山神社は、歴史を知るためだけの場所ではない。ふるさとの時間に触れ、心の奥に静かに火をともしてくれる。そんな場所なのだ。
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