
我(わ)はもや
安見児(やすみこ)得たり
皆人(みなひと)の
得(え)かてにすといふ
安見児(やすみこ)得たり
現代訳
ああ、ついに私は安見児(やすみこ)を手に入れた。だれもが手に入れられないと言っていた、その安見児を、私は得ることができたのだ。
歌の意味

この歌は、藤原鎌足が天皇に仕える采女(うねめ)・安見児を妻に迎えたとき、その喜びを率直に詠んだ恋歌である。
「安見児(やすみこ)」は、天皇の身近に仕えた若く気品ある采女で、通常は天皇の許しなく近づくことすらできない存在。
「皆人の得難にすといふ」は、「誰にも得られないものだと言っていた」という世間の評判を反映する言葉である。
この歌では、安見児を得た喜びを「得たり」を二度繰り返すことで、あふれる感情をそのまま表し、同時に天智天皇の許可を受けたことへの感謝と誇りを含ませている。
鎌足の率直な歓喜、自負、そして政治的忠誠心までも読み取れる一首である。
出典
この歌は 『万葉集』巻二・95番歌 に収められている。
巻二は「相聞(恋愛)」「挽歌」を中心に構成され、天皇・皇族・貴族の恋愛や人間関係を伝える初期万葉の核ともいえる巻である。
詠んだ人

藤原鎌足(614?–669)
中臣氏の出で、死後に藤原姓を賜って藤原氏の祖となる人物。大化改新の中心人物として知られ、天智天皇から最も信任を受けた臣下。
政治家として卓越した才覚を見せただけでなく、和歌においても強い情感と率直さが際立つ。本歌はその典型例で、政治的緊張の多い鎌足の生涯の中で、個人的な歓びがもっとも素直に漏れ出た稀有な歌として位置づけられる。
本歌の題詞には明確に「内大臣藤原卿、采女安見児を娶りし時に作る歌一首」とある。
歌の素晴らしさ

この歌の魅力は、「率直で剥き出しの歓喜」 と「宮廷的文脈が含む政治性」の二つが同時に成立している点にある。
まず、和歌としての構造では、「安見児得たり」を二度繰り返し、感情が抑えられないほど大きいことを明確に表現している。これは技巧よりも情熱が前面に出た希少な万葉表現である。
さらに、采女を得ることは通常許されない。この結婚は天智天皇の特別な恩寵であり、鎌足はそれを心の底から誇りに思っていたと考えられる。「私情の喜び」と「主君への最大級の敬意」が一つに重なり、政治家としての鎌足の姿まで透けて見える。
恋歌でありながら、国家の中枢を支えた人物の心の一瞬をとらえた歴史資料としても重要な一首である。
万葉歌碑がある談山神社
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藤原鎌足の墓がある御破裂山
藤原鎌足の命日の例祭
談山神社