大和ふるさと手帖〜奈良だより

故郷・大和(なら)のまほろばを紹介します。歴史、風土、寺院、遺跡、古墳。あすかびとを目指して。

大来皇女「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む」〜山を弟として生きる、喪失を語らない喪失

f:id:balladlee:20251218103849j:image

うつそみの

人なるわれや

明日よりは

二上山(ふたかみやま)を

弟世(いろせ)とわが見む

現代訳

f:id:balladlee:20251230220558j:image

この世に生きる人間である私は、明日からは、二上山を、わが弟だと思って眺めて生きていこう。

歌の意味

右端の2つが二上山

この歌は、大来皇女(おおくのひめみこ)が、弟・大津皇子の死を悼み、その魂が眠る二上山(ふたかみやま)を前にして詠んだ挽歌である。

大来皇女は、天武天皇の皇女であり、大津皇子の実の姉にあたる人物。大津皇子は謀反の疑いをかけられ、持統天皇三年(689年)に二上山の麓で処刑された。

歌の冒頭「うつそみの人なるわれや」とは、「この世に生きる身である私は」という意味で、生者である自分と、すでに亡くなった弟との隔たりを強く意識した表現である。

「明日よりは二上山を弟世とわが見む」は、「これから先は、二上山を弟そのものだと思って見ていこう」という決意の言葉。

弟の遺骸が葬られた山を、単なる自然ではなく、弟の存在そのものとして心に抱いて生きるという、深い悲嘆と覚悟が込められている。

出典

この歌は『万葉集』巻二・165番歌に収められている。

巻二は、天皇・皇族・貴族による歌を中心に収めた巻で、挽歌(死者を悼む歌)が多いことが特徴である。政治的事件や皇族の死と深く結びついた歌が多く、本歌もその代表例のひとつとされる。

大津皇子に関する歌は、姉・大来皇女によるものが特に多く、弟への深い情愛と喪失の痛みが繰り返し詠まれている。

詠んだ人

作者は大来皇女(おおくのひめみこ)。天武天皇の皇女であり、伊勢神宮に仕えた斎宮(天皇の代わりに伊勢神宮に仕える皇族女性)でもあった。

政治と信仰の両方の世界に生きた皇女でありながら、この歌では一切の立場を脱ぎ捨て、ただ「弟を失った姉」としての声が率直に響いている。

大来皇女は、大津皇子を想う歌を万葉集に6首残しており、そのいずれもが、感情を誇張せず、静かな言葉で深い悲しみを表現している点に特徴がある。

歌の素晴らしさ

f:id:balladlee:20251218103852j:image

この歌の素晴らしさは、悲しみを直接語らず、「見る」という行為に託している点にある。

泣くとも嘆くとも言わず、「二上山を弟と思って見る」と言うだけで、取り返しのつかない喪失と、それを抱えて生きていく覚悟が伝わってくる。

自然そのものを、失った人の存在として受け入れるという発想は、万葉歌人の死生観をよく表している。人は死んでも、山や川や風となって、なお身近にあり続けるという感覚である。

「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む」

藤原京から眺める二上山の姿は、1300年前の姉の視線とともに、今も静かに立ち続けている。これは、言葉を極限まで削ぎ落とした、日本最古級の「喪失の詩」である。

万葉歌碑がある吉備池