
うつそみの
人なるわれや
明日よりは
二上山(ふたかみやま)を
弟世(いろせ)とわが見む
現代訳

この世に生きる人間である私は、明日からは、二上山を、わが弟だと思って眺めて生きていこう。
歌の意味

この歌は、大来皇女(おおくのひめみこ)が、弟・大津皇子の死を悼み、その魂が眠る二上山(ふたかみやま)を前にして詠んだ挽歌である。
大来皇女は、天武天皇の皇女であり、大津皇子の実の姉にあたる人物。大津皇子は謀反の疑いをかけられ、持統天皇三年(689年)に二上山の麓で処刑された。
歌の冒頭「うつそみの人なるわれや」とは、「この世に生きる身である私は」という意味で、生者である自分と、すでに亡くなった弟との隔たりを強く意識した表現である。
「明日よりは二上山を弟世とわが見む」は、「これから先は、二上山を弟そのものだと思って見ていこう」という決意の言葉。
弟の遺骸が葬られた山を、単なる自然ではなく、弟の存在そのものとして心に抱いて生きるという、深い悲嘆と覚悟が込められている。
出典
この歌は『万葉集』巻二・165番歌に収められている。
巻二は、天皇・皇族・貴族による歌を中心に収めた巻で、挽歌(死者を悼む歌)が多いことが特徴である。政治的事件や皇族の死と深く結びついた歌が多く、本歌もその代表例のひとつとされる。
大津皇子に関する歌は、姉・大来皇女によるものが特に多く、弟への深い情愛と喪失の痛みが繰り返し詠まれている。
詠んだ人
作者は大来皇女(おおくのひめみこ)。天武天皇の皇女であり、伊勢神宮に仕えた斎宮(天皇の代わりに伊勢神宮に仕える皇族女性)でもあった。
政治と信仰の両方の世界に生きた皇女でありながら、この歌では一切の立場を脱ぎ捨て、ただ「弟を失った姉」としての声が率直に響いている。
大来皇女は、大津皇子を想う歌を万葉集に6首残しており、そのいずれもが、感情を誇張せず、静かな言葉で深い悲しみを表現している点に特徴がある。
歌の素晴らしさ

この歌の素晴らしさは、悲しみを直接語らず、「見る」という行為に託している点にある。
泣くとも嘆くとも言わず、「二上山を弟と思って見る」と言うだけで、取り返しのつかない喪失と、それを抱えて生きていく覚悟が伝わってくる。
自然そのものを、失った人の存在として受け入れるという発想は、万葉歌人の死生観をよく表している。人は死んでも、山や川や風となって、なお身近にあり続けるという感覚である。
「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む」
藤原京から眺める二上山の姿は、1300年前の姉の視線とともに、今も静かに立ち続けている。これは、言葉を極限まで削ぎ落とした、日本最古級の「喪失の詩」である。