
倭(やまと)は 国の真秀(まほ)ろば
たたなづく 青垣(あをかき) 山籠(やまごも)れる 倭し麗(うるは)し
この和歌は、山と人と祈りが溶け合う「まほろば」の心を映す歌である。この短い一首の中に、大和の地で生きる"あすかびと"の魂が宿っている。
『古事記』では、「夜麻登(ヤマト)」「麻本呂婆(まほろば)の字が使われる。
歌の意味

「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和し美し」
「大和は国のまほろば」として知られる和歌は、日本の古代歌の中でも特に美しい一首である。
「夜麻登(ヤマト)」とは桜井市の地名のことで、「夜麻碁母禮流(やまごもれる)」から来ており、「山のあるところ」の意味。この場合も山は、三輪山を指す。
「まほろば」とは、“すぐれて美しい場所”“理想郷”という意味をもつ古語。
「大和の国は、青々と重なり連なる山々に囲まれた、なんと美しく、すばらしい国であることか」
「たたなづく青垣」は、幾重にも連なる山の稜線を垣根に見立てた表現で、「山に守られた安らぎの国」という情景を描く。歌全体からは、故郷への深い愛情と、大和という地の神聖さが静かに伝わってくる。
出典
「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」
この歌は、『古事記』と『日本書紀』の両方に記されているが、それぞれの文献で詠んだ人物と場面が異なる。
- 『古事記』では、倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだ歌として登場
- 『日本書紀』では、第十二代・景行天皇(倭建命の父)が詠んだ歌として登場
同じ一首でありながら、二つの文献で語り口が違うことが、この歌をより深みのあるものにしている。
詠んだ人―ヤマトタケル説と景行天皇説
『古事記』の伝えるヤマトタケル説

『古事記』では、東征を終えた倭建命が伊勢の地で病に倒れ、遠く大和を偲んでこの歌を詠んだとされる。死を目前にした若き英雄が、故郷の山々を思い浮かべて詠んだこの歌は、望郷と別離の歌である。
「麗し」と結ぶ語には、故郷への限りない愛惜が込められており、静かな悲しみの中にあすかびと(奈良県人)の“ふるさと”観の原型を見ることができる。
『日本書紀』の伝える景行天皇説

『日本書紀』ではこの歌は景行天皇の作とされる。九州遠征の帰途、大和の地を望みながら詠んだとされ、天皇が自らの国の美しさを讃える国讃歌(くにのほまれのうた)の形を取る。
この場合、歌は望郷というよりも、「国の中心・大和の荘厳さと調和の美」を称えたものとなる。英雄の私的な感情を描く『古事記』に対し、『日本書紀』は王としてのまなざしを伝えている。
どちらの解釈にしても、この歌が日本人にとって「美しき国・大和」の象徴であることに変わりはない。
歌の素晴らしさ

倭(やまと)は 国の真秀(まほ)ろば
たたなづく 青垣(あをかき) 山籠(やまごも)れる 倭し麗(うるは)し
この歌の魅力は、単なる古代の風景描写や郷土賛美にとどまらない。わずか三十一音足らずの短詩の中に、自然へのまなざし、郷土への誇り、そして国という存在への祈りが、一つの呼吸のように共存している。
“たたなづく”とは、何重にも折り重なるさまを表す古語であり、青垣とは青々とした垣根のこと。大和を取り囲む山々が幾重にも連なり、生きた守りの垣のように国を包むという意味。ここに描かれるのは、単なる地形ではない。
山を“壁”ではなく“抱擁”として捉える視点。それは自然を畏れながらも、共に生きようとする古代日本人の根源的な感性を映している。山は神の宿る場所であり、人の暮らしを支える母胎でもある。その山々に囲まれた大和は、神と人とが共に息づく聖なる地として詠まれているのだ。
そして、結句の「倭し麗し」。“うるわし”という一語は、単に「美しい」という意味にとどまらない。清らかで、調和があり、心正しく整っているという、古代の“美”の最高形を示す言葉である。この歌の終わりは、「大和は美しい国だ」という感嘆ではなく、「この地に生きる人々の心が、美しく、まっすぐである」という祈りに近い肯定で締めくくられている。
この構成の見事さ、自然の描写から、精神の美、そして祈りの境地へと静かに上昇していく流れが、この歌が千年を超えて語り継がれる理由である。この一首の中で、大和は単なる土地ではなく、“心のふるさと”そのものとして歌い上げられている。
令和の時代にこの歌を聴くとき、奈良に生きる人“あすかびと”は、古典の美辞麗句としてではなく、自分たちの暮らしそのものの鏡として感じ取る。
朝、三輪山の端に光がさすとき。稲穂が風に揺れ、初瀬川が静かに流れるとき。そのすべての風景の中に、「まほろば」という言葉が息づいている。
あすかびとがこの歌を聴くとき、そこにあるのは郷愁ではなく、誇りだ。
「この地に生まれ、この風の中で暮らしていること」そのものが、まほろばの心を受け継ぐことになる。
令和の空の下でも、大和は変わらず青垣に囲まれ、人々はその懐で働き、笑い、生きている。
「倭し麗し」という響きは、今を生きる奈良の人々に、“ここにある静けさこそが、日本の原点だ”とそっと語りかけてくる。
この歌が詠まれてからおよそ二千年。それでもなお、奈良の風はあの日と同じように吹いている。まほろばの心は、古代の英雄の唇を離れ、いまを生きる、あすかびとの胸の奥で、静かに脈打ち続けている。
川端康成の歌碑

この歌の精神は、川端康成にも深い感銘を与えた。1969年(昭和44年)にノーベル文学賞を受賞した際の記念講演「美しい日本の私」で、冒頭にこの「やまとは国のまほろば」の歌を引用している。
「古代から日本人が美と共に生きてきた証」としてこの歌を紹介し、“まほろば”という言葉の中に、自然と人の調和する日本の美意識を見た。
奈良県桜井市の井寺池の畔には、川端康成の筆によるこの歌碑が建立されており、そこには静かに次の文字が刻まれている。
万葉歌碑がある井寺下池
万葉歌碑がある大神神社の宝物殿
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大和の和歌