
近鉄長谷寺駅から、観光客が吸い寄せられるように歩いていく参道。その道をほんの少しだけ外れると、空気が急に変わる。湿度が増すわけでも、温度が下がるわけでもない。ただ、「日常」がふっと後ろに下がって、ひとつ深い呼吸が差し込んでくる。
そこに、與喜天満神社がある。

境内へ近づく前に、まず背後の山がこちらの気配を察知してくる。與喜山。標高は低く控えめなのに、実際は“壁一枚向こうが森の深部”みたいな存在感がある。山の斜面は濃い緑で、針葉樹と広葉樹のグラデーションがはっきりしている。これが、国の天然記念物である与喜山暖帯林だ。

寺領として伐採が禁じられてきたため、森の中はやたらと手つかずで、木々は太いものも細いものも、何百年も同じ会話を続けているみたいに落ち着いている。

登山口は天満宮の大鳥居の手前、わずかに東へ反れたところにあるが、知らないとまず気づかない。観光に向けて開いていくよりも、「分かる人だけ来ればいい」という空気を守り続けている。

神社の創建は946年。菅原道真が自ら長谷寺の観音を訪ね、その帰りにここ初瀬の地へ導かれたという話が『長谷寺験記』に残っている。道真が雷神になって峰に降臨し「与喜大明神」と称した。京都の北野天満宮が有名だが、創建は1年後の947年なので、與喜天満神社が天満神社としては最古の神社になる。

相撲の祖・野見宿禰も出雲ではなく、初瀬の出身と伝えられている。その後、土師氏となり、後に菅原氏を名乗った一族のルーツが、この谷に刻まれていることを思うと、ここに座したという伝承もまったくの作り話には感じられない。

境内へ向かう石段はずっと上まで伸びている。両脇の杉はすらりと高く、幹の赤茶色が夕方の光を吸い込んでいた。
石段を登りきった先に見える本殿は、1818年に長谷寺によって再建されたもので、木の柱は長い時間を飲み込んだような落ち着きをまとっている。

主祭神は菅原道真。そして、その隣には二柱の配祀神が静かに並んでいる。
- 天照大神(あまてらすおおかみ)
- 大倉姫神(おおくらひめのかみ)
天照大神は、この与喜山が「日本で最初に降臨した地」と伝わることに由来している。古い神話が土地の呼吸と結びつき、いつの間にかそこに根付いた感じだ。大倉姫神は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全など、生活全般の守護神としての信仰がある。

境内の一角には、苔むした「磐座(いわくら)」が静かに置かれ、案内板が古代祭祀の名残であることを淡々と説明している。過去からそっと置き土産をされたみたいだ。

拝殿の横にある授与所は、日常の生活音が残りつつも、不思議な静けさをまとっている。並べられた椅子、無造作に置かれた箱、薄くめくれた札。準備の途中で夏休みが永遠に伸びてしまったような、そんな空気だ。

振り返ると、初瀬川の細い流れが赤い欄干の橋をくぐり抜けていく。川面に落ちた木の影が風に合わせて揺れて、それが山の緑と混ざり合って、少しだけ記憶の奥を見るような気持ちになる。

與喜天満神社は、大きな神社ではない。派手な伝説があるわけでも、人を圧倒する建築があるわけでもない。ただ、千年以上前から変わらず、山と川の気配と一緒にそこに居続けている。その静けさは、こちらが何かを祈るより前に、勝手に心をすくい上げてくる。与喜山の森がゆっくり呼吸をし、神社の木々や石段がその呼吸に溶け込んでいる。そこへ足を踏み入れた人間もまた、一日だけその深い呼吸を分けてもらうことができる。

與喜天満神社は、946年の創建から今日まで、菅原道真の伝承、天照大神の降臨伝承、そして長谷寺との深いつながり。いくつもの歴史がこの場所で重なり合ってきた。背後には、古代から伐採が禁じられ、ほぼ原始の姿を保つ与喜山暖帯林が広がり、初瀬の山岳信仰が「今も息をしている」ことを静かに証明している。
天満宮として日本最古の創建をもち、氏族の物語と国家の宗教史が交差してきたこの谷は、実は日本の信仰史を語るうえで外せない重要地点だ。気づかないうちに歩いているだけで、千年単位の歴史の層をまたいでいる。そんなスケール感を秘めた場所である。
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